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マルクスアウレリウスアントニヌス : ミニ英和和英辞書
マルクスアウレリウスアントニヌス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マルクスアウレリウスアントニヌス ( リダイレクト:マルクス・アウレリウス・アントニヌス ) : ウィキペディア日本語版
マルクス・アウレリウス・アントニヌス

マルクス・アウレリウス・アントニヌス古典ラテン語121年4月26日 - 180年3月17日)は、第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌストラヤヌスの傍系血族でもある。
外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女を嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが死んだ事で単独の皇帝となった。
ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で没した。
軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これはプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである〔''Western Civilization: Sources, Images and Interpretations,'' Dennis Sherman, Vol. 1, 5th Ed., p. 104.〕。
==歴史資料==
マルクス・アウレリウスの人生と治世に関する資料は疎らで、信憑性の薄い物が多く含まれている。例えば主要な情報源とされる「ローマ皇帝群像」は多くの問題を持った資料であり、引用元の資料よりも価値は低い〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 229 30. The thesis of single authorship was first proposed in H. Dessau's "Uber Zeit und Personlichkeit der ''Scriptoes Historiae Augustae''" (in German), ''Hermes'' 24 (1889), 337ff.〕。ハドリアヌスからアウレリウスまでの評伝は作中でも比較的に信憑性があるが、それでもアエリウス・ウェルスやガイウス・アウィディウス・カッシウスの評伝は完全な捏造であると見られる〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 230. On the ''HA Verus'', see Barnes, 65?74.〕。
マルクス・アウレリウス自身は「自省録」という著作を残したが、これは主にアウレリウスの内面についての記述や思索であって、俗事の出来事については余り触れられていない〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 227.〕。同時代の歴史家にはカッシウス・ディオがおり、特に軍政についての記述においては重要な記録を残している。しかしディオの元老院階級としての偏見や、帝国領土の拡大に対する反対意見は真意を不明瞭にしている〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 228?29, 253.〕。
他にアウレリウスと関わった様々な人が残した記録は、細かい出来事についての詳細を提供している。アントニヌス朝の貴族達について記録した宮殿医ガレノス、時代の風潮を推測させるアエリウス・アリスティデスの演説、そして東ローマ時代の勅法彙纂に記録されるアウレリウスの法整備などがそれにあたる〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 227?28.〕 。碑銘、通貨なども治世を調べる上での情報源とされる〔Birley, ''Marcus Aurelius'', 228.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marcus Aurelius 」があります。




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