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マルグリット・ユルスナール : ミニ英和和英辞書
マルグリット・ユルスナール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルグリット・ユルスナール : ウィキペディア日本語版
マルグリット・ユルスナール[ちょうおん]
マルグリット・ユルスナール(Marguerite Yourcenar、本名:Marguerite Antoinette Jeanne Marie Ghislaine Cleenewerck de Crayencour、1903年6月8日 - 1987年12月17日)は、フランス小説家筆名の「ユルスナール」は本姓のクレイヤンクール(Crayencour)からのアナグラムである。
== 来歴 ==
フランス貴族の末裔たる父ミシェル(Michel Cleenewerck de Crayencour)と、ベルギー貴族の末裔たるフェルナンド(Fernande de Cartier de Marchienne)を母にブリュッセルで生まれたが、母は出生時の産褥熱で世を去っている。もっぱら博学な父の教えにより西洋古典の教養を身につけた。また幼少時から父に伴われて各地を旅行し、父を26歳のときに亡くした以降もヨーロッパや小アジア各地に遊学した。1937年に渡米し一時帰国したが、1939年に第二次世界大戦開始により、再びアメリカに渡り1958年まで、ニューヨーク近郊サラ・ローレンス大学比較文学を教えた。退職後はメイン州のマウント・デザート島(モン・デゼール島、Mount Desert Island)の小さな屋敷に住み、著作の合間に旅行をする生活を送った〔『須賀敦子全集3』、p.570f(河出書房新社、2000年)、「ユルスナールの小さな白い家」を収録。〕。
主な作品に、『アレクシス あるいは空しい戦いについて』(1929年)、東洋の伝承を翻案した作品集『東方綺譚』(1938年)、第一次大戦の動乱期を背景とする『とどめの一撃』(1939年)、ローマ皇帝の個人的な回想の形をとった歴史小説『ハドリアヌス帝の回想』(1951年)、ルネサンス期の錬金術師の激動の生涯を描く『黒の過程』(1968年。フェミナ賞)、作家自身のルーツをたどった『世界の迷宮』三部作など。
なおユルスナールはバイセクシャルで、作品の主人公も同性愛者が圧倒的に多い。三島由紀夫を評価していたことでも知られており、三島を扱った評論『三島あるいは空虚のビジョン』がある。ほかにイタリアの版画家ピラネージを扱った『ピラネージの黒い脳髄』がある。
1980年には女性初のアカデミー・フランセーズ会員となった。1987年12月、マウント・デザート島の小さな町バー・ハーバー(Bar Harbor)の病院で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルグリット・ユルスナール」の詳細全文を読む




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