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マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア : ミニ英和和英辞書
マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア : ウィキペディア日本語版
マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア[らん]

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイアMargherita Violante di Savoia, 1635年11月15日 ヴァレンティーノ城、トリノ - 1663年4月29日 公爵宮殿、コロルノ)は、イタリアサヴォイア家の公女で、パルマラヌッチョ2世の最初の妻。名はイオランダ・マルゲリータ・ディ・サヴォイアIolanda Margherita di Savoia)とも呼ばれる〔Savoy3 〕。
サヴォイアヴィットーリオ・アメデーオ1世とその妻でフランスアンリ4世の娘であるクリスティーヌの間の第5子、次女として生まれた。
野心的な母はマルゲリータを甥のフランス王ルイ14世に嫁がせようと画策したが、同時にスペインフェリペ4世も娘のマリア・テレサとルイ14世との縁組を望んでいた。ルイ14世とマルゲリータは1658年11月にリヨンでお見合いをし、見合いの場には王太后アンヌ、王弟のアンジュー公、王の従姉グランド・マドモワゼル(大姫君)、王の寵姫マリー・マンチーニらも同席していた。フランス王室の一行は、マルゲリータを美人だが日焼けしすぎていると評し、また無口な姫だと判断した。結局、フランス側はフランス・スペイン戦争の講和という実益を重視してマリア・テレサを王妃に選んだ。
マルゲリータは1660年4月29日、パルマ公ラヌッチョ2世と結婚した。夫との間には2人の息子を産んだが、長男は死産児で、次男は生後3日目に死去した。そしてマルゲリータ自身も、次男の出産の2日後に亡くなった。遺骸はパルマサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会に安置された。夫は1663年にモデナ公女イザベッラ・デステと再婚している。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア」の詳細全文を読む




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