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マルコ・ディ・バイオ : ミニ英和和英辞書
マルコ・ディ・バイオ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マルコ・ディ・バイオ ( リダイレクト:マルコ・ディ・ヴァイオ ) : ウィキペディア日本語版
マルコ・ディ・ヴァイオ

マルコ・ディ・ヴァイオMarco Di Vaio, 1976年7月15日 - )は、イタリアローマ出身の元同国代表MLSモントリオール・インパクトサッカー選手。ポジションはフォワード

== 経歴 ==
SSラツィオの下部組織出身で、1994年にセリエAデビューした。このSSラツィオに愛着があり、現役最後はラツィオで引退したいと語っている〔WORLD SOCCER DIGEST、日本スポーツ企画出版社、2004年8月19日号〕。その後は下部リーグのクラブを転々とするが、サレルニターナで頭角を現すと、1999年にパルマに移籍し、2001-02シーズンには20得点を量産した。2002年、ユヴェントスに移籍し、加入1年目にリーグ優勝を果たした。2004年にはイタリア人のクラウディオ・ラニエリ監督に誘われてリーガ・エスパニョーラバレンシアCFに移籍するが、ラニエリ監督解任後は出場機会が減少し、ASモナコにレンタル移籍した。レンタル期間終了後にはバレンシアに一旦復帰するも、キケ・サンチェス・フローレス監督の戦力構想には入っておらず移籍を志願した。バレンシアとは契約が残っていたものの退団することでフリーになり、移籍金の発生しない完全移籍でモナコに復帰することとなった。しかし激しいポジション争いでレギュラーを獲得するまでには至らなかった。
2007年1月、セリエB(2部)のジェノアCFCよりオファーを受け、推定移籍金200万ユーロ、2009年までの契約で完全移籍した。セリエA復帰を目指して激しい昇格争いを繰り広げるクラブの切り札として復活が期待され、ジェノアのセリエA昇格に大きく貢献した。2008-09シーズンはこのシーズン昇格したボローニャへレンタル移籍。シーズン開幕後からゴールを量産し得点王争いを繰り広げるも、最終節でズラタン・イブラヒモビッチに1ゴール差をつけられリーグ2位に終わった。しかし24ゴールは自身最多で、ボローニャのセリエA残留に大きく貢献した。ディ・ヴァイオの得点はチーム総得点の半分以上を占めた。32歳にしてシーズン二度のハットトリックを達成し、第16節のトリノFC戦、第27節のサンプドリア戦ともにチームは勝利している。
2012年5月24日MLSモントリオール・インパクトに移籍。移籍金は非公開。
2014年10月3日、現役引退を表明した〔元イタリア代表のディ・ヴァイオが現役引退 - Goal、2014年10月4日〕。
2001年9月5日に行われたモロッコ戦でイタリア代表デビューした。しかし翌年のワールドカップに出場する代表選出からは漏れ、捲土重来を期すはずであった2006年ドイツワールドカップも選外に終わった。代表初ゴールは2003年10月11日アゼルバイジャン戦。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルコ・ディ・ヴァイオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marco Di Vaio 」があります。




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