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マルシャル・ゲルー(Martial Gueroult〔ゲルーを ''Guéroult'' とする綴りも頻繁に見られるが、正しくはアクサンの付かない ''Gueroult'' である〕, 1891年12月15日 - 1976年8月13日)は、20世紀初頭から中期にかけて活躍したフランスの哲学者。主な研究領域は、17世紀・18世紀の哲学と哲学史。 == 略歴 == 1891年12月15日、フランス北西部の港湾都市ル・アーヴルに生まれた。第一次・第二次世界大戦にてフランス軍に従軍し、レジオンドヌール勲章を1度、クロワ・ド・ゲール勲章を2度授与されている。ドイツ軍の捕虜になった時期があったが、そのときにヨハン・ゴットリープ・フィヒテについての論文を書き始めた。この原稿が、後に処女作『フィヒテにおける知識学の進化と構造』として出版される〔Jules Vuillemin, “Martial Gueroult † 13. 8. 1976,” ''Archiv für Geschichte der Philosophie'' for the History of Philosophy'' 59 (1977): 289.〕。 ゲルーはストラスブール大学の教員として学者としてのキャリアを開始した。1930年代、ゲルーはブラジルのサンパウロ大学に数年滞在し、他のフランスの知識人たち(ロジェ・バスティード、クロード・レヴィ=ストロース、ピエール・モンベーク、ポール・ユゴン、シャルル・モラゼ、フェルナン・ブローデル)と協働し、この大学にできたばかりの社会科学科の発展に寄与した〔Fernando Henrique Cardoso, ''Charting A New Course: The Politics of Globalization and Social Transformation'', ed. Mauricio Font (Lanham: Rowman & Littlefield Publishers, Inc., 2001), 3.〕。その後、ソルボンヌ大学からのオファーを受けてフランスに帰国したが、1951年にはエティエンヌ・ジルソンの後を継いでコレージュ・ド・フランスの教授に就任した。ゲルーが受け持った講座名は、「哲学的諸体系の歴史と技術」というもので、1962年に退官するまでそこで教鞭をとり続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルシャル・ゲルー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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