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マルジュ(、、、「草地」の意)は、リビア北東部の都市。マルジュ県の県都である〔Room, Adrian (2006) "Al Marj" ''Placenames of the world: origins and meanings of the names for 6,600 countries, cities, territories, natural features, and historic sites'' (2nd edition) McFarland, Jefferson, North Carolina, p. 26 , ISBN 0-7864-2248-3〕。地中海とアフダル山地で隔てられた、高地の谷あいに位置する。 人口は8万5315人(2004年推計)〔。目抜き通りは川の両岸に伸びており、郵便局から遠くない所にアブー・バクル・アッシディーク・モスクがある〔Pliez, Olivier (ed.) (2009) "Al Marj" ''Le Petit Futé Libye'' Petit Futé, Paris, p. 237 , ISBN 2-7469-2276-2; in French〕。 == 歴史 == 紀元前7世紀に古代ギリシャが築いたバルカ植民地(コロニー)が、マルジュの起源である。前512年にアケメネス朝ペルシアに征服された〔Merriam-Webster, Inc. (1972) "Barca" ''Webster's New Geographical Dictionary'' G. & C. Merriam Co., Springfield, Massachusetts, p. 118, ISBN 0-87779-146-5〕後、前323年のアレクサンドロス3世(大王)の死でプトレマイオス朝に併合された。後641年にはアムル・イブン・アル=アース麾下のアラブ勢に取って代わられた。 19世紀、街はオスマン帝国が1842年に築いた砦(後に復元)のまわりに成長した。1913年から1941年のイタリア植民地期も行政と経済の中心地、それに高原リゾートとして開発された。 1942年から翌年にはイギリス領キレナイカの首都になった〔Stewart, John (1996) "Cyrenaica" ''The British Empire: an encyclopedia of the Crown's holdings, 1493 through 1995'' McFarland & Co., Jefferson, North Carolina, p. 125, ISBN 0-7864-0177-X〕 。 1963年2月21日にはM5.6の地震が起き〔Earthquake at USGS 〕、市内の大半の建物が倒壊〔、300人近くが死亡し500人以上が負傷した〔Hewitt, Kenneth (1983) "Seismic Risk and Mountain Environments: The Role of Surface Conditions in Earthquake Disaster" ''Mountain Research and Development'' 3(1): pp. 27-44, p. 30〕。主要な建物は市街から5kmほどの地点に再建されることとなり、1970年前後に完成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルジュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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