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マルセル・セルダン : ミニ英和和英辞書
マルセル・セルダン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マルセル・セルダン : ウィキペディア日本語版
マルセル・セルダン

マルセル・セルダンMarcel Cerdan、男性、1916年7月22日 - 1949年10月27日)は、フランス(旧フランス領アルジェリア)出身の元プロボクサー。元世界ミドル級王者。名王者トニー・ゼールからタイトルを奪ったボクサーとして知られる。シャンソンの女王エディット・ピアフの恋人だったことでも知られ、笑うのが好きで人を惹き付ける性格であったと伝えられている。
== 略歴 ==
少年時代はサッカーに熱中していたが、父の勧めでボクシングを始めた(兄弟二人もボクサー)。13歳でアマチュアデビュー、1934年に18歳でプロデビュー。その後ウェルター、ミドル両級の欧州王者となる。
強靭なフィジカルとラフさと強打の攻撃的スタイルでKOの山を築き圧倒的な強さを誇示し続けた。メディアや強豪選手が彼の印象的な強さを噂にしたことから世界的に「無冠の帝王」視され、実力と人気ともに充分であった。しかし世界挑戦は遅れることになる。
1948年9月21日に世界初挑戦、“鋼鉄の人”トニー・ゼールの世界ミドル級王座にアメリカ合衆国ニュージャージー州ジャージーシティーで挑んだ。ロッキー・グラジアノとの3度にわたる死闘で疲弊した感のあるゼールをスピードで上回り圧倒、11回左フックでダウンさせ12回開始時点でKO、タイトルをフランスに持ち帰った。大スターの世界奪取を待ち望んでいた祖国の国民はラジオの勝利を伝える報に歓喜した。
1949年6月16日に“ブロンクスの牡牛”ジェイク・ラモッタとの初防衛戦がデトロイト(米国)で行われた。当代切っての名うてのファイター同士の一戦は大きな前評判を呼んだ。試合は予想に違わぬ大激戦になったが、セルダンは途中で肩を負傷し左腕を動かせなくなる。それでも戦い続けたが遂に棄権し10回TKOで王座を明け渡した。
セルダンは雪辱を切望し、ラモッタも受け入れニューヨークでの再戦が決定する。その報らせを聞いたセルダンは狂喜、「勝つか、死ぬかだ」と言い残しパリから空路で決戦の地へ向かった。だが1949年10月27日、搭乗したエールフランスロッキード コンステレーション L-749機が北大西洋アゾレス諸島付近に墜落、セルダンも不帰の客となった。この事故では、ヴァイオリニストジネット・ヌヴーも死去している。(1949年エールフランスロッキード コンステレーション墜落事故
1991年に国際ボクシング名誉の殿堂(国際ボクシング名誉の殿堂博物館)入りをしている。パリ郊外ブレストには名を冠したドーム型施設のSalle Marcel-Cerdan(Stade Marcel-Cerdan)があり、スポーツを始めとする多目的施設として利用されている。
遺児マルセル・セルダン・ジュニアも父の遺志を継ぎボクサーとなった。世界ランカーにまで登り詰めたが、世界獲りはならなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルセル・セルダン」の詳細全文を読む




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