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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マルセロ・フィリピーニ(Marcelo Filippini, 1967年8月4日 - )は、ウルグアイ・モンテビデオ出身の元男子プロテニス選手。1999年の全仏オープンでベスト8に入り、当地のテニス選手として4大大会男子シングルスの最高成績を出した選手である。自己最高ランキングはシングルス30位、ダブルス44位。彼はATPツアーでシングルス5勝、ダブルス3勝を挙げ、ツアー優勝回数でもウルグアイ人男子選手として最多記録を持つ。フォアハンド・ストロークを最も得意にしたベースライン・プレーヤーである。 フィリピーニはテニス・インストラクターである父親の手ほどきで、5歳からテニスを始めた。1985年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのウルグアイ代表選手に選ばれ、1987年に20歳でプロ入りする。1988年全仏オープンで4大大会初出場。この年、フィリピーニは男子ツアーでシングルス・ダブルスともに初優勝を果たした。シングルスでは1988年7月のスウェーデン・バスタッド大会で優勝し、ダブルスは2ヶ月後の9月下旬にイタリア・パレルモ大会を制している。1989年8月にチェコスロバキア・プラハ大会でシングルス2勝目を獲得するが、それから5年間シングルスの優勝がなかった。 1992年全仏オープンでは、2人のウルグアイ人選手が男子シングルス4回戦に勝ち残り、フィリピーニとディエゴ・ペレスの2人がベスト16入りを決めた。これは当地の男子テニス界では史上初めての出来事であった。フィリピーニは4回戦でアンリ・ルコント(フランス)に 3-6, 2-6, 4-6 で敗れ、予選勝者だったペレスもニクラス・クルティ(スウェーデン)に敗れたため、ウルグアイ勢はここではベスト8に届かなかった。1994年6月、イタリア・フィレンツェ大会で5年ぶりのツアー3勝目を挙げる。 1996年3月、フィリピーニはモロッコ・カサブランカ大会の1回戦でアルベルト・ベラサテギ(スペイン)と「男子テニス史上最長ゲーム」を繰り広げた。デュースを「28回」繰り返した「20分」のゲームをベラサテギが取り、フィリピーニはこの試合に 2-6, 3-6 で敗れた。この後に、1996年アトランタ五輪のウルグアイ代表選手としてオリンピックに出場した(シングルスのみ出場、2回戦敗退)。1997年春、彼は4月のアトランタ大会と5月中旬のオーストリア・セントポールテン大会で優勝し、シングルスで年間2勝を獲得した。オーストリア・セントポールテン大会の決勝戦で、フィリピーニはパトリック・ラフター(オーストラリア)を 7-6, 6-2 で破ったが、これがフィリピーニの最後のツアー優勝(5勝目)になった。(この後、ラフターは全仏オープンでベスト4に入ると、同年の全米オープン優勝者になり、一気に世界トップ選手へと躍進していった。) 1999年全仏オープンで、マルセロ・フィリピーニに最大のハイライトが訪れる。7年ぶり2度目の4回戦でグレグ・ルーゼドスキー(イギリス)を破った彼は、ウルグアイ男子選手の4大大会最高成績となるベスト8に入り、準々決勝でアンドレ・アガシに 2-6, 2-6, 0-6 のストレートで完敗した。この大会ではフィリピーニのほかに、ブラジルからグスタボ・クエルテンとフェルナンド・メリジェニの2人、チリのマルセロ・リオスがベスト8に入り、8強のうち4人を南米勢が占めたことから“南米旋風”と呼ばれた。フィリピーニ、クエルテン、リオスが準々決勝で敗れ、メリジェニも準決勝でアンドレイ・メドベデフ(ウクライナ)に敗れて、ここで南米勢は姿を消した。 フィリピーニは赤土の全仏オープン以外での4大大会出場記録が少ない。全豪オープン出場は1993年・1998年の2度のみで、1993年の2回戦でケネス・カールセン(デンマーク)に敗れた。ウィンブルドンは1997年-1999年の3年連続出場で、すべて1回戦敗退に終わっている。全米オープンだけは、キャリア初期の1990年に初出場し、それから1996年-1999年まで出場記録を残した。 1999年全仏オープンの“南米旋風”からちょうど1年後、マルセロ・フィリピーニは2000年7月に33歳で男子ツアーから引退した。デビスカップは2001年まで出場を続け、16年間の代表経歴を通じて通算「42勝36敗」(シングルス31勝22敗・ダブルス11勝14敗)の成績を残し、すべての部門でウルグアイ・チームの歴代1位記録保持者になった。 == 外部リンク == * * (参照:ウルグアイ・チームの 歴史 ) * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルセロ・フィリピーニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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