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マルセロ・メロ : ミニ英和和英辞書
マルセロ・メロ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マルセロ・メロ : ウィキペディア日本語版
マルセロ・メロ

マルセロ・ピンヘイロ・ダビ・デ・メロMarcelo Pinheiro Davi de Melo, 1983年9月23日 - )は、ブラジルベロオリゾンテ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、これまでにATPツアーでダブルス19勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス273位、ダブルス1位。身長203cmの長身からついた“Girafa”(ジラファ、「キリン」の意味)というニックネームがある。
2015年全仏オープン男子ダブルス優勝者。2009年全仏オープン混合ダブルス2013年ウィンブルドン選手権男子ダブルス2014年ATPワールドツアー・ファイナルで準優勝。
== 来歴 ==
メロは7歳の時から、家族揃ってテニスを始めた。15歳まではサッカーもプレーしたが、テニスに専念する決心をして1998年にプロ入りする。彼は男子ツアー下部大会(フューチャーズ、チャレンジャー)での長い下積み時代を経て、2007年からATPツアー大会に本格参戦を始め、4月末のポルトガルエストリル大会でアンドレ・サと組んでツアー初優勝を果たした。同年のウィンブルドン男子ダブルスで、メロとサはベスト4に進出した。ブラジルペアの2人は、準決勝でフランスペアのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 6-7, 3-6, 3-6 のストレートで敗れた。ところが、メロがウィンブルドン直前の6月10日、イギリスのトーナメントで「イソメテプテン」(興奮剤、抗片頭痛薬)に陽性反応を示したことが発覚する。軽微な違反として、彼は国際テニス連盟から2007年9月10日-11月9日まで2ヶ月間の出場停止処分を受けた〔ITFニュース 〕。
2008年、マルセロ・メロとアンドレ・サは男子ツアー大会でダブルス年間4勝を挙げ、北京五輪の男子ダブルスにも出場した。ブラジルペアは2回戦で、ドイツ代表のライナー・シュットラー&ミヒャエル・コールマン組に 6-7, 3-6 で敗れた。2009年は5月中旬のオーストリアキッツビュール大会で優勝があった。
メロは2006年まで、フューチャーズやチャレンジャー大会でシングルス戦にも出場したが、ATPツアーでは1度しかシングルスへのエントリーがない。男子テニス国別対抗戦・デビスカップのブラジル代表選手としても、すべてダブルス戦のみに出場している。
2009年全仏オープンで、マルセロ・メロはアメリカバニア・キングと混合ダブルスのペアを組み、決勝戦まで勝ち進んだ。決勝戦で2人は第1シードペアのボブ・ブライアン&リーゼル・フーバー組と対戦し、7-5, 6-7 で1セット・オールになった。全仏オープンのダブルスでは、混合のみ10ポイント・タイブレーク決戦方式(通称:スーパータイブレーク方式)で勝敗を決定する。この方式では、1セット・オールになった時は10点制のタイブレークを行い、先に10ポイント取った方が勝者になる。メロとキングはタイブレークを 7-10 で落とし、全仏混合ダブルス準優勝者になった。
2010年からはブルーノ・ソアレスとペアを組むようになった。2010年全仏オープンダブルスでベスト8に進出している。2012年7月のロンドン五輪で2度目のオリンピックに出場し2回戦でチェコのトマーシュ・ベルディハ&ラデク・ステパネク組を 1-6, 6-4, 24-22 で破りベスト8に進出した。準々決勝ではフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ミカエル・ロドラ組に 4-6, 2-6 で敗れた。9月のデビスカッププレーオフではロシアアレックス・ボゴモロフ・ジュニア&ティムラズ・ガバシュビリ組を 7-5, 6-2, 7-6(7) で破りブラジルの10年ぶりワールドグループ復帰に貢献した〔Davis Cup - Tie details - 2012 - Brazil v Russia 〕。
2013年ウィンブルドン選手権ではイワン・ドディグと組み初めて4大大会男子ダブルスの決勝に進出した。決勝でボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組に 6–3, 3–6, 4–6, 4–6 で敗れ準優勝となった。全米オープンATPワールドツアー・ファイナルでもベスト4に進出した。
2015年全仏オープン男子ダブルスイワン・ドディグとペアを組み第3シードで出場。決勝でブライアン兄弟に6-7,7-6,7-5で勝利しグランドスラム初優勝。
11月2日にブライアン兄弟を抜いてダブルスの世界ランキングで1位になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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