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マルタ・ロバン(Marthe Robin、1902年3月13日 - 1981年2月6日)は、カトリック教会信者および神秘主義者である。長期にわたって飲食物を摂らず、聖体を摂取するのみで生き続けたとされ、身体に聖痕が具現化していた〔Michael Freze, 1993, They bore the wounds of Christ, OSV Publishing ISBN 0879734221 page 284 Michael Freze, 1993, Voices, Visions, and Apparitions, OSV Publishing ISBN 087973454X page 252〕。黙想所「愛と光の家」(''Foyer de Charite'')の創始者でもある〔マルタ・ロバンについて John the Evangelist Net、2011年8月13日閲覧。〕。 == 生涯 == フランス南東部の小村シャトーヌフ=ド=ガロール (:en:Châteauneuf-de-Galaure) の農家に生まれ、学校を卒業した後は畑仕事を手伝ったり、家畜の世話をしたりして暮らしていた〔。16歳のときに健康を害し、徐々に病状が進行して21歳のときには寝たきりとなった〔The Catholic tradition by Thomas Langan 1998 ISBN 0826211836 page 446〕。このような苦境の中でも神に対する信仰心は増してゆき、23歳となったロバンは、自分の持っていたすべての能力を主へ捧げることを決意した〔。アメリカのカトリック教会系ケーブルテレビEWTN (:en:Eternal Word Television Network) によると、彼女は多年にわたって聖体以外の飲食物を摂ることはなかったという〔MARTHE ROBIN: ANOTHER VICTIM SOUL Jim Gallagher 2011年8月13日閲覧。〕。 また、睡眠をとることもなく、約50年にわたって毎週イエス・キリストのアゴニア(臨終の苦しみ)を追体験していた〔〔今日の聖書 カトリック武庫之荘教会ウェブサイト 2011年8月20日閲覧。〕。 1928年、フランシスコ会の第3会(在俗会)に入会した〔Marthe Robin Souffrance, lumière et charité" Serge Lafitte, in "Les mystiques", Le Monde des Religions, May-June 2007, page 37 〕。1936年には「愛と光の家」を創立した〔DE CHARITÉ PONTIFICAL COUNCIL FOR THE LAITY 2011年8月13日閲覧。〕。ロバン自身は、シャトーヌフ=ド=ガロールから一生涯離れることはなかったが、「愛と光の家」は、指導司祭や協力者たちの助力を受けて、世界の60以上の国に広まった〔〔よもやまメール箱 2011年8月20日閲覧。〕。死後の1986年に列福調査が開始され、1998年に福者と認められている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルタ・ロバン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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