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マルチン・マトコウスキー : ミニ英和和英辞書
マルチン・マトコウスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルチン・マトコウスキー ( リダイレクト:マルチン・マトコフスキ ) : ウィキペディア日本語版
マルチン・マトコフスキ[ちょうおん]

マルチン・マトコフスキMarcin Matkowski, 1981年1月15日 - )は、ポーランドバルリネク出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、同じポーランドのマリウシュ・フィルステンベルクとペアを組んで活動している。彼は普段からシングルスにはほとんど出場せず、フィルステンベルクとのダブルスのみに活動を絞っている。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで16勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス647位、ダブルス7位。身長188cm、体重81kg、右利きの選手。サービスとフォアハンド・ストロークを最も得意にする。(彼の姓“Matkowski”は、これまでの報道では「マトコウスキー」の読みが多かった。)
== 来歴 ==
マトコフスキは8歳からテニスを始めたが、その年にポーランドの共産主義が崩壊した。彼は1998年からポーランド国内開催のチャレンジャー大会に参加し始め、2000年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのポーランド代表選手に選ばれたが、2001年から2003年までアメリカカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学していた。そのため、彼は22歳という遅い年齢でプロテニス選手に転向した。現在もダブルスのパートナーを組むマリウシュ・フィルステンベルクとの出会いは、2000年11月にアメリカ・フロリダ州で開かれたチャレンジャー大会であった。それ以後、マトコフスキは大半のトーナメントでフィルステンベルクとペアを組むようになる。2003年7月末、故国ポーランドのソポト大会のダブルスでフィルステンベルクと組んでツアー初優勝を果たす。2004年アテネ五輪のポーランド代表選手に選ばれたマトコフスキとフィルステンベルクは、男子ダブルス1回戦でスイス代表のイブ・アレグロ&ロジャー・フェデラー組に 3-6, 2-6 で敗退した。
マトコフスキとフィルステンベルクは、2006年全豪オープンで初めての4大大会ベスト4に進出した。準決勝でマルティン・ダムチェコ)&リーンダー・パエスインド)組に 2-6, 4-6 のストレートで敗れた。これで勢いづいた2人は、年間最終ランキング上位8組しか出場資格を得られない、男子ツアー年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」ダブルスにも初めて出場資格を得た。ポーランド人どうしのペアとしては史上初の快挙となった年間最終戦の舞台で、2人は予選ラウンド・ロビン(出場8組を2つのグループに分け、各グループの4組が総当たり戦を行う)で3戦全敗に終わった。
2007年、マトコフスキとフィルステンベルクは男子ツアー大会のダブルスで年間2勝を挙げたが、テニス・マスターズ・カップには出場できなかった。2008年北京五輪で2度目のオリンピックに出場し、2年ぶり2度目のテニス・マスターズ・カップ出場資格も獲得して、予選ラウンド・ロビンで2勝を挙げた。こうして2人は初めてのマスターズ・カップ準決勝に進み、ボブマイクアメリカ、双子の兄弟のペア)に 4-6, 4-6 で敗れた。
2011年全米オープンで4大大会のダブルスで初めて決勝に進出した。決勝ではユルゲン・メルツァー&フィリップ・ペッシュナー組に 2–6, 2–6 で敗れ準優勝となった。最終戦のATPワールドツアー・ファイナルでも決勝に進出しマックス・ミルヌイ&ダニエル・ネスター組に 5–7, 3–6 で敗れた。
2012年全米オープンでは混合ダブルスでクベタ・ペシュケと組み決勝に進出した。決勝ではエカテリーナ・マカロワ&ブルーノ・ソアレス組に 7–6(8), 1–6, で敗れ準優勝となった。
マトコフスキとフィルステンベルクのコンビは、デビスカップのポーランド代表選手として「ベスト・ダブルス・チーム」(同一ペアのダブルス勝利数歴代1位)になった。
マトコフスキは普段からシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ATPツアーでのシングルス通算成績は、わずか3勝3敗である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルチン・マトコフスキ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marcin Matkowski 」があります。




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