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フィンランド・マルッカ(芬:Suomen markka 瑞:finsk mark )はフィンランドの旧通貨。1860年から2002年2月28日のユーロ導入まで、フィンランドの法定通貨であった。 通貨コードはFIM、また、一般的にはmkと記載した。1マルッカは100ペンニであり、1ユーロとの交換比率は5.94573マルッカとされた。 ==歴史== 1860年、マルッカはフィンランド銀行によって導入され、ロシアの施政下にあったフィンランドでは1ルーブルに対して4マルッカとされた。1865年にはマルッカとルーブルの定率交換が廃止され、銀本位制へ、その後、1917年のフィンランド独立の際この通貨は金本位制に移行する。さらに金本位制は1940年に撤廃されているが、マルッカは当時勃発した冬戦争の影響で起こったインフレーション煽りも受けていた。 1963年にデノミネーションが実施され、100旧マルッカが1新マルッカとなった。 1948年、フィンランドはブレトン・ウッズ協定に参加し、1USドル=320マルッカで固定された。1963年の新マルッカ変更後は1ドル=3.20マルッカになり、1967年には1ドル=4.20マルッカに変更された。1971年のブレトン・ウッズ体制崩壊後は通貨バスケット制を導入、その後マルッカは幾度かの通貨切り下げが行われ、ドイツマルクの価値が上昇する一方で価値が下がり続けるUSドルと同調し、1975年から1990年までの間に通貨価値は60%下がった。通貨の切り下げの影響により、USドルで取引されることが多い製紙業は輸出が伸び悩み、大きな打撃を受けた。1980年代から1990年代にかけて、さまざまな経済規制が取り除かれ、市場は徐々に自由化していった。 1991年、マルッカはバスケット通貨である欧州通貨単位 (ECU) とのペッグ制がとられるようになる。しかしこのペッグ制に参加して2か月で12%の価値下落が生じたため、マルッカはECUから撤退せざるを得なくなった。また1992年にはフィンランドに恐慌が起きる。いくつかの理由があるが、最大のものは1980年の好況の際に生み出した負債をこのときに一気に被ったことが大きい。また、ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊によって両国間での通商が途絶え、また既存の取引先も深刻な打撃を受けた。同時に輸出収入の元である西欧市場も混乱し、取引量がさらに下がった。結果としてマルッカの固定相場は放棄され、変動為替制へと変化した。通貨価値はその後も13%減少、さらに名目物価もドイツ並みの水準へと暴騰しかけた。また、このため、外貨建てで資金を借りていた企業は途方もない負債を被る形となった。 この後1996年にマルッカは欧州為替相場メカニズムに参加、1999年にはユーロ導入を決定、2002年にはユーロ通貨が導入した。フィンランドがユーロ制度を導入していなかったら、インターネット・バブルなどの市場変動によりマルッカは荒い値動きをしていたと考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィンランド・マルッカ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Finnish markka 」があります。 スポンサード リンク
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