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マルティン・ハインリヒ・クラプロート : ミニ英和和英辞書
マルティン・ハインリヒ・クラプロート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルティン・ハインリヒ・クラプロート : ウィキペディア日本語版
マルティン・ハインリヒ・クラプロート[ちょうおん]

マルティン・ハインリヒ・クラプロートMartin Heinrich Klaproth1743年12月1日1817年1月1日)はドイツ化学者である。
ヴェルニゲローデに生まれた。16歳で薬局につとめ、その後クヴェトリンブルクハノーファーなどで薬局の助手を務め、1768年ベルリンにでた。1770年有名な化学者ローゼの助手になったが、その直後にローゼが亡くなったので、ローゼの仕事をつぐことになった。1810年にフンボルト大学(ベルリン大学)が創設されると初代の化学の教授になった。
分析化学と鉱物学に業績を残した。ウランジルコニウムセリウムの発見者とされ、テルルチタンの発見を確認し、これらの元素の命名者になっている。
1789年、ピッチブレンドから酸化ウランを精製し、新元素であると結論した。
==息子==

*ユリウス・ハインリヒ・クラプロート(Julius Heinrich Klaproth) (1783年 - 1835年)…19世紀ヨーロッパを代表する東洋学者〔高田時雄編『東洋学の系譜 欧米篇』(1996年大修館書店、ISBN 4469231304)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルティン・ハインリヒ・クラプロート」の詳細全文を読む




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