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マルティン・ヴィレム・フェルカーク(Martin Willem Verkerk, 1978年10月31日 - )は、オランダ・南ホラント州ライデルドルプ出身の男子プロテニス選手。身長195cm、体重89kg の長身を誇り、強力な弾丸サーブを武器にする“ビッグ・サーバー”タイプの選手である。シングルス自己最高ランキングは14位。 2003年全仏オープンシングルスにおいて世界ランキング74位ノーシードでありながら準優勝を果たす。2003年BNLイタリア国際ベスト8。 == 選手経歴 == 7歳からテニスを始め、1995年にオランダのジュニア大会の18歳以下の部で優勝。1996年にプロ入り。しかし、2003年までフェルカークは世界的には無名の選手だった。年頭の全豪オープンで1回戦敗退に終わった後、イタリア・ミラノの室内コートの大会でツアー初優勝を飾る。そして6月の全仏オープンでは、わずか3度目の4大大会出場であったが、世界ランキング74位のノーシード選手として勝ち進んだ。4回戦で当年度の全豪オープン準優勝者ライナー・シュットラー(ドイツ)を破ると、準々決勝では1998年の優勝者カルロス・モヤ(スペイン)、準決勝ではギリェルモ・コリア(アルゼンチン)に勝ち、初めての決勝戦に進出する。そこで、2年連続の決勝進出となった第3シードのフアン・カルロス・フェレーロ(スペイン)がフェルカークを待ち構えた。フェルカークはフェレーロに 1-6, 3-6, 2-6 のストレートで敗れ、1996年のウィンブルドンを制覇したリカルド・クライチェク以来となる、オランダ人テニス選手としての4大大会優勝を逃した。しかし全仏オープンの大会期間中に「124本」のサービス・エースを放った。 フェルカークは2004年7月にウィンブルドン終了後の試合でツアー2勝目を挙げたが、その後故障に悩んで試合から遠ざかり、オランダ代表として出場資格のあったアテネ五輪も断念した。その後、トーナメントに全く出場できないブランクが長期間続き、2007年から本格復帰を果たしたものの、2008年に現役を引退した。 オランダのプロテニス選手は“ビッグ・サーバー”タイプが多い。当地で最初の4大大会優勝者となったリカルド・クライチェクもビッグ・サーバーとして有名だった。赤土の全仏オープンではベースラインでのラリー勝負で忍耐力が要求される場面が多く、一発必中型のビッグ・サーバーの選手が活躍することは比較的少ない。それだけに、ビッグ・サーバーのフェルカークが全仏オープンで準優勝したことは鮮烈な印象を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルティン・フェルカーク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Martin Verkerk 」があります。 スポンサード リンク
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