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マルティーニ・エ・ロッシ : ミニ英和和英辞書
マルティーニ・エ・ロッシ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルティーニ・エ・ロッシ : ウィキペディア日本語版
マルティーニ・エ・ロッシ[ちょうおん]

マルティーニ・エ・ロッシMartini & Rossi)は、イタリア酒類製造会社。ベルモットスプマンテを製造している。マルティーニは世界的に有名なベルモットのブランドとなっている。
1800年代中頃、イタリア・ピエモンテ地方にあるトリノでアレッサンドロ・マルティーニ (Alessandro Martini), ルイージ・ロッシ(Luigi Rossi), テオフィロ・ソーラ (Teofilo Sola) の3人により創業された。1993年に、ラム酒で有名なバカルディ社と合併し、バカルディ・マルティーニ社 (Bacardi-Martini Limited)となる。
== 歴史 ==
1840年、イタリアのトリノ地方の4人のワイン生産者、クレメンテ・ミカエル(Clemente Michael), カルロ・レ(Carlo Re)、カルロ・アニェッリ(Carlo Agnelli)、エリジオ・バウディーノ(Eligio Baudino) が共同で、ワインリキュールベルモット等を販売する Distilleria Nazionale di Spirito di Vino社を設立した。
1850年、後のマルティーニ社を担う3人がDistilleria Nazionale社に加わる。アニェッリ一家からワイン畑を買ったアレサンドロ・マルティーニ、経理担当テオフィロ・ソーラ、ベルモットのレシピを開発したルイージ・ロッシの3人である。
1860年にレがなくなり、1863年にミカエルが退職したのち、権限を得たマルティーニ、ソーラ、ロッシの3人は会社の名前をMartini, Sola & Cia社と変更する。
その後、本社及び工場をジェノヴァの港に直結する道沿いにあるペッシオーネ(キエーリ)に移し、ベルモットの国際展開を始める。
1879年にテオフィロ・ソーラが亡くなる。その息子らは遺された株式をマルティーニとロッシに譲渡し、社名はマルティーニ・エ・ロッシ (Martini & Rossi)社と変更された。
20世紀初頭までの間、マルティーニ・エ・ロッシ社はロッシのレシピによるベルモットや新たに開発したスパークリング・ワインをアメリカやヨーロッパ中に輸出し、一大ブランドとなる。1905年には創業者アレッサンドロ・マルティーニが亡くなり、マルティーニ・エ・ロッシ社はルイージ・ロッシの4人の息子が受け継ぐ。
第二次世界大戦後、マルティーニ・エ・ロッシ社は次々と洋酒メーカー、ブランドを買収し、一大洋酒グループと変貌する。1960年にリキュールのサン・ラファエル、1966年ポートワインのオフリー、1971年フレンチ・ベルモットのノイリー・プラット、1988年リキュールのベネディクティン、1991年コニャックのオタールをそれぞれ買収する。そして、1992年、同様に一大洋酒グループとなっていたバカルディ社に買収され、バカルディ・マルティーニ社 (Bacardi-Martini Limited)となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルティーニ・エ・ロッシ」の詳細全文を読む




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