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マルブツトップは日本の元競走馬。おもな勝ち鞍は2005年の佐賀記念。半妹に関東オークスなど重賞2勝のホワイトメロディー(父クロフネ)がいる。 == 戦歴 == デビューは2歳時、2002年8月18日、札幌競馬場での2歳新馬戦。その時は16頭中5着であった。その後2戦目で初勝利した後、札幌2歳ステークスに挑戦して4着。その後は余り勝ち切れず、2003年10月5日、札幌競馬場で行われた利尻特別で2勝目を挙げる。翌年2004年には3連勝を飾った事もあった。 2005年2月21日、地方交流競走である佐賀記念で重賞初制覇を果たすが、その後は余り成績が振るわず、やがて深いスランプへと陥って行く。 そんな中、2006年3月12日に障害戦デヒュー。そのデビュー戦で平地力にモノを言わせていきなり初勝利を挙げる。その後は平場の障害オープンを2戦して共に2着した後に、京都ジャンプステークスで重賞初挑戦するがここは6着に敗れてしまい、障害戦で初めて連対を外した。しかし次戦の中京の障害オープン戦では一転、奮起して快勝。平地、障害両重賞制覇が期待される一頭として現在に至るが、その期待を背負って出走した小倉サマージャンプではコウエイトライのパーフェクトな逃げ切りに屈して7着。9月には立て直しを誓って中山の障害オープンに出走するも、ここでもいい所が無く7着に。 しかしその後、障害オープンで20歳のルーキージョッキー、船曳文士を勝利に導いて見せると、京都ハイジャンプには一転、障害界の名手田中剛を背に挑戦。スプリングゲントの2着に敗れたが、長丁場でも実力が出せる事を証明した。続いての牛若丸ジャンプステークスでは同じく田中剛を背に望んだが、フミノトキメキから大きく離れたで2着に敗れた。その後の京都ジャンプステークスでは、先頭と大きく離れた5着に敗れた。次の東京ハイジャンプでは、最下位13着に敗れた。 休養後、2008年に入って障害オープンに2戦出走するが7着、6着だった。その後の京都ジャンプステークスでは、9着に敗れた。その後障害オープンに3戦出走するが5着、6着、6着だった。8月23日の新潟ジャンプステークスでの7着が最後のレースとなった。2008年8月27日付でJRA競走馬登録を抹消。その後は滋賀県の甲賀ファームを経て、福岡県のコームツリーホースメンバーズで功労馬として余生を送っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルブツトップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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