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マル・エヴァンズ (Malcolm Frederick "Mal" Evans 1935年5月27日 – 1976年1月5日)は、ビートルズのパーソナル・アシスタント、ロードマネージャー、そして友人だった人物。 エヴァンズは、1960年代初めにBTグループの電話技士として雇用される一方で、キャヴァーン・クラブの用心棒としても働いていた。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが、後にエヴァンズをビートルズのロードマネージャー兼パーソナル・アシスタントとしてニール・アスピノールとともに雇い入れた。エプスタインの部下であったは後にエヴァンズを評して、「外見は威圧的だが心優しい若者」と記している。エヴァンズはビートルズのレコーディングにも参加し、グループの映画にも出演した。1966年にビートルズがツアー公演を止めた後も、エヴァンズはグループの助手として働き続け、それは1970年のグループの解散まで続いた。1969年には音楽プロデューサーとしても活動し、中でもバッドフィンガーのヒット曲『』でのプロデュース活動が有名である。 エヴァンズは1976年1月5日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で警官に射殺された。エヴァンズが混乱状態で銃を持っているとの彼の恋人の通報により駆け付けた警官達は、エヴァンズが持っていた空気銃を本物のライフルと誤認して射殺したのである。 == 生い立ち == エヴァンズの幼少期については生年月日以外よく分っておらず、彼の伝記、評伝類も書かれていないが、エヴァンズ自身が回顧録『ビートルズ伝説を生きて』(Living The Beatles' Legend)を記し、その抜粋が2005年3月20日に公開されている。エヴァンズの経歴がはっきりしているのは1961年、リヴァプール出身のリリー(Lily)と、マージーサイド州の遊園地で出会って結婚した時からである。同年には最初の子供、ゲーリー(Gary)が出生している〔。エヴァンズがリヴァプールのキャヴァーン・クラブでビートルズの昼の部の演奏を最初に聴いた頃、ビートルズはクラブにレギュラー出演している地元のバンドの一つであった。その頃、エヴァンズはリヴァプールの地区のヒルサイド通り(Hillside Road)に住んでおり、ロイヤルメールの電話技士として働いていた。エヴァンズは元々エルヴィス・プレスリーの大ファンであったが、すぐにビートルズの献身的なファンにもなった。 エヴァンズは最初にジョージ・ハリスンと友人になり、ハリスンから用心棒を探していたキャヴァーン・クラブの経営者、レイ・マクフォール(Ray McFall)に彼の名が伝えられた〔。27歳のエヴァンズは、太縁眼鏡を掛けていたものの、身長1.97 メートルの逞しい体つきのために採用され、クラブの入り口で傍若無人に振舞うファンを追い払うのに重宝された〔。そのため、後にエヴァンズは「優しき大男」("Gentle Giant")や、「ビッグ・マル」("Big Mal")といったあだ名で呼ばれるようになった。1962年、エヴァンズは翌年1963年用の郵便局の技士組合の手帳に、「(1962年は)素晴らしい年」であったと記しており、その理由として妻リリーと息子のゲーリー、家、車、キャヴァーン・クラブでの仕事を得たことを挙げている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マル・エヴァンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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