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マレイ・ラインスター(Murray Leinster, 1896年6月16日 - 1975年6月8日)は、アメリカ合衆国のSF作家。代表作はファースト・コンタクトテーマの古典的傑作「最初の接触」("First Contact" ,1945)など。1956年、『ロボット植民地』でヒューゴー賞短編小説部門を受賞。 ヴァージニア州生まれ。姓の日本語表記はラインスターが普通だがまれにレンスターとも書かれる〔例:福島正実編『時と次元の彼方から - 海外SF傑作選1』講談社文庫BX、1975年〕〔例:ブライアン・アッシュ(編)、山野浩一(日本語版監修)『SF百科図鑑』サンリオ、1978年〕(後者の方が原音に近いとの情報あり〔大森望『特盛! SF翻訳講座』研究社、2006年〕)。別名のウィル・F・ジェンキンズ(Will F. Jenkins)でも知られる。 ==作家として== ラインスターの経歴は、第一次大戦前にフリーランスの作家として始まった。彼が最初の作品"The Foreigner"を文学雑誌「スマート・セット」("The Smart Set")に発表したのは、20歳の誕生日を迎える2ヶ月前のことであった。続く3年間強で、ラインスターは同誌に10以上の作品を発表した。第一次大戦中および戦後には、「アーゴシー」をはじめとするパルプ・マガジンに寄稿した。1920年代、パルプ・マガジンが多様なジャンルに専門分化し始めると、ラインスターは各誌に合わせた多様な作品を書くようになった(密林冒険譚を"Danger Trails"誌に、西部ものを"West"誌や"Cowboy Stories"誌に、探偵ものを「ブラック・マスク」誌に、怪奇ものを「ウィアード・テイルズ」に寄稿。恋愛ものすらも手がけ、これはルイーザ・カーター・リーという女性名のペンネームで"Love Story Magazine"に寄稿した)。 ラインスターの最初のSF作品は、短編"The Runaway Skyscraper"(逃げた摩天楼)で、「アーゴシー」1919年2月22日号に掲載された。この作品はヒューゴー・ガーンズバックによる世界初のSF雑誌、「アメージング・ストーリーズ」の1926年6月号に再掲載された。1930年代には数編のSF短編やシリーズものを「アメージング」誌と「アスタウンディング」誌に発表した。彼は"Detective Fiction Weekly"や"Smashing Western"のような他のジャンルのパルプ誌にも寄稿を続けた。「コリアー」や「エスクァイア」誌にも登場したことがある。〔Smith, Curtis C. (1981). ''Twentieth Century Science Fiction Writers''. New York: St. Martin's. pp. 325–327. ISBN 0312824203.〕 ラインスターはパラレルワールドというアイディアの発明者だとされている。ジャック・ウィリアムスンが『航時軍団』を発表する4年前に、ラインスターは短編「時の脇道」("Sidewise in Time")を発表している(「アスタウンディング」1934年6月号)。すでに改変歴史世界という概念は存在していたが、恐らくこれは現代SFにおいてパラレルワールドという概念が現われた最初の例であった〔山本弘編『火星ノンストップ』、早川書房、2005年7月、p66、ISBN 4-15-208651-3〕。ラインスターの示した時間的異常振動(「時の脇道」より)というヴィジョンは、他の作家たちに長年に渡って影響を与え続けた。例としてアイザック・アシモフの「住宅難」("Living Space")、「赤の女王のレース」("The Red Queen's Race")、『永遠の終わり』が挙げられる。 1945年の中編「最初の接触」("First Contact")は、SFにおいて万能翻訳機が登場する最初の例の一つだと信じられている〔 "Hic Rhodus, His Salta" by Robert Silverberg, Asimov's Science Fiction, January 2009, page 6.〕 ラインスターは、初期のSF作家としては、高い品質を要求されるジョン・W・キャンベル時代までを生き延びた数少ない作家の一人である。「アスタウンディング(アナログ)」誌におけるラインスターの活動は、1930年1月号に始まり、36年後の1966年11月号に"Quarantine World"を掲載するまで続いた。 1946年の短編「ジョーという名のロジック」("A Logic Named Joe")はコンピュータの描写を含む最初期のフィクションの一つである。(作中でコンピュータは「ロジック」と呼ばれている)。この作品中で、ラインスターは時代に数十年も先んじてインターネットを思い描いている。彼は「ロジック」が各家庭に備え付けられ、サーバ(作中の用語では「タンク」)群による分散システムを通して接続され、コミュニケーション、エンターテイメント、データへのアクセス、商取引に活用される様を描いた。ラインスターはある登場人物に「ロジックが文明なんだ!」〔小西宏訳「ジョーという名のロジック」(『SFカーニバル』p64)より引用〕("logics are civilization."〔Jenkins, Will F. (March 1946), "A Logic Named Joe", ''Astounding'' 37 (1): 139–155〕)との台詞を言わせている。 第二次大戦後、ラインスターの名とパルプ・マガジンが共に古びた時、彼は「ウィリアム・フィッツジェラルド」か「ウィル・F・ジェンキンズ」の名義を使うようになった。 ラインスターは1950年代、60年代にも創作を続けた。その作品は「ギャラクシー」誌や「F&SF」誌、そして「サタデー・イブニング・ポスト」に掲載された。彼は「ロボット植民地」("Exploration Team")で1956年度ヒューゴー賞短編小説部門を受賞した。ラインスターの作家歴はSFテレビドラマ"Men Into Space"、『タイムトンネル』、『巨人の惑星』のノヴェライズで締めくくられた。彼は生涯に短編や論説を1500以上、映画脚本を14、ラジオおよびテレビの脚本を数百、手がけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マレイ・ラインスター」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Murray Leinster 」があります。 スポンサード リンク
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