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『マンガ少年』は、かつて朝日ソノラマが発行していた月刊漫画雑誌。1976年創刊、1981年に休刊となり、後継雑誌は『DUO』。 == 概要 == 手塚治虫が『火の鳥』を掲載する雑誌を欲していたことを受けて、朝日ソノラマとしては初の漫画雑誌として企画され、誌名も手塚の意向で『マンガ少年』として1976年8月6日発売の9月号で創刊。『漫画少年』や『COM』の影響が多々見られ、トキワ荘系やCOM出身の漫画家が多数活躍した。創刊号には『火の鳥 望郷編』連載の他、石森章太郎、松本零士、ジョージ秋山、藤子不二雄、石川賢、吾妻ひでお、ますむらひろし、みなもと太郎らが執筆。時代的にSFがブームであり、多くのSF漫画が発表されている。また、アニメブームの最中、関連記事も多数掲載されている。 作品としては、手塚治虫『火の鳥』を長期連載した。『COM』で未完だった「望郷編」と「乱世編」が完結し、「生命編」、「異形編」と連載された。同時期に、実写映画『火の鳥』(1978年)やアニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年)が公開され、メディアミックスの走りとなった。また、手塚は原稿を落とすことも多く、代替として、過去の作品が穴埋めで載ることも多かった。1977年から連載開始した竹宮惠子『地球へ…』は大きなヒットを飛ばし、1980年にはアニメ映画化された。石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)は、『サイボーグ009』「海底ピラミッド編」を連載した。藤子・F・不二雄(当時、藤子不二雄)は、少年向けのSF短編を定期的に掲載した。吾妻ひでおは、『美美』、『やけくそ黙示録』を連載した。 みなもと太郎のエッセー「お楽しみはこれもなのじゃ」は、和田誠の映画評論「お楽しみはこれからだ」のパロディ作品としてだけではなく、優れた漫画評論として名高い。 マンガ少年新人賞からは、石坂啓や竜巻竜次、木村直巳、速星七生、神矢みのるなどが輩出されたほか、細野不二彦、高橋葉介、あや秀夫、早坂照明などがデビュー作を発表したのも本誌である。 1981年5月号で休刊。発行部数は創刊号で24万部、その後10万部前後となり、休刊時には3万部程度だった。後継誌として『DUO』が創刊され、光瀬龍・竹宮恵子『アンドロメダ・ストーリーズ』、山田ミネコ「最終戦争シリーズ」など一部の作品は連載が引き継がれた。 別冊として『火の鳥』全9冊、『地球へ…』全4部を発行。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マンガ少年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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