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株式会社マンダム(英語:Mandom Corporation)は、大阪府大阪市中央区十二軒町に本社を置く、日本の化粧品メーカーである。主にヘアフォームを中心とした男性用化粧品においてシェアは国内トップに位置するが、ライバル会社の資生堂が奪回した年もあり、両社の攻防が続いている。 == 概要 == 元々は明治時代(詳しい時期は不明)に大阪で創業され、輸入雑貨品を販売していた大崎組を前身とする。創業者で岡山出身の西村新八郎は、この大崎組に1908年(明治41年)に入社し、フランスから輸入された香水を、自社ブランド名の「鶴香水」「金鶴香水」といった名を冠して販売していた。 その後、大崎組は1923年(大正12年)に倒産、大阪市内で化粧品を扱う業者が合同し、1927年(昭和2年)に金鶴香水株式会社として設立される。先に大崎組に在籍経験を持つ、西村は1915年(大正4年)に大崎組から独立し、同じく大阪市内で化粧品の製造を専業としていた株式会社 巴屋化粧品製造所(のちに1949年、同社に吸収合併される)の共同経営者をしていたが、新たに設立された金鶴香水の社長に就任することになる。 1933年(昭和8年)、スティック状で使う分だけ、押し出して塗って髪を整える「丹頂チック」を発売。爆発的なヒットを記録し、これが同社を長年に渡って支え続けるロングセラー商品となる(現在まで販売中)。戦後を経て、その後も「丹頂ヘアトニック」「丹頂コールドクリーム」など、自社ブランド「丹頂」名の製品が多くなったことから、1959年(昭和34年)には丹頂株式会社に社名を変更。しかし1963年(昭和38年)に資生堂からシリーズ型男性用化粧品の先駆けとなる「MG5」が発売されると、一転してシェアは低下、一時倒産の危機に直面するが、1970年(昭和45年)にチャールズ・ブロンソンをイメージ・キャラクターに起用した「マンダム」シリーズを発売。当時テレビ放映されたCMの影響も手伝って、大ヒットを記録。倒産寸前の窮地から復活を遂げると、1971年(昭和46年)にマンダムへと社名変更する。 1978年(昭和53年)には、新世代向け男性用化粧品「GATSBY」(ギャツビー)シリーズを投入し、こちらも現在まで続くブランドに成長させると共に、1989年(平成元年)には、業界で初となる無香料化粧品として知られる「LUCIDO」(ルシード)シリーズを投入(1993年には女性向けとして「LUCIDO-L」(ルシード エル)も誕生している)。その後は上述の通り激戦が続く男性用化粧品分野で資生堂と接戦を続けている。 「mandom」とは、現在は“Human & Freedom”の略である。元々は“Man Domain”(男の領域)という意味だったが、1984年に女性化粧品事業へ参入するのに伴い、公に略称を変更した。 2013年11月18日、主に50代以降にみられる加齢臭ではなく、30代 - 40代の『おやじ臭(おばさん臭)』の原因物質がジアセチルであることを特定した〔おやじ臭:成分はジアセチル 酢の120倍の強さ マンダムが特定 2013年11月19日 毎日jp(毎日新聞)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マンダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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