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マンダラ論とは、1982年にアメリカの歴史学者が著書『東南アジアから見た歴史・文化・地域』で提唱した、近世以前の東南アジアにおける国家の形態論である〔桃木 (1996) p.62〕。 == 概要 == 古代から近世にかけての東南アジアは、ヨーロッパの父系性社会とは違い父系性と母系性の両性社会であり、社会的地位は血筋だけでは決まらずに、常に権力の内部で血縁間抗争が行われていた。このため、世襲による巨大な王国は成立しにくく、権力者は常に実力を示し続けざるを得なかった。 しかし、原始社会のような実力だけでの権力では広域支配を維持することはできないため、権力の図式は、地方ごとにおける小さな主権、それをまとめる中規模な主権、更にそれをまとめる大規模な主権となった〔地方の主権は、たとえばマレー語ではヌガラ、タイ語ではムアンと呼ばれるものである。これらの単語は、現代ではともに「国」を意味する語となっているが、今でもあちらこちらにムアン〇〇、✕✕ヌガラといった地名が残っている。〕。そしてその裾野は往々にして重複しており、あたかも曼荼羅図のような、どこまでが中央の支配する領域か明確ではない重層的かつ多重的な権力による連合国家の形態がみられることとなった。 歴史年表上で見る限りはどこかの王権に支配されていそうな都市が独自に中国に対して朝貢を行っていたり、現代人にはひとつの国家と認識される内部で都市同士が領域の主導権争いを行うなどの現象はこのシステムによって説明ができるとされる〔桃木 (1996) p.63〕。このようなシステムにおいては、権力の頂点にある者が己のカリスマをヒンドゥー教の神格になぞらえるなどの傾向が見られ、ベトナム北部を除く「インド化された東南アジア」で広く観察できる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マンダラ論」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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