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マンフレッド交響曲 : ミニ英和和英辞書
マンフレッド交響曲[まんふれっどこうきょうきょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

交響 : [こうきょう]
 (n,vs) reverberation
交響曲 : [こうきょうきょく]
 【名詞】 1. symphony 
: [ひびき]
  1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity

マンフレッド交響曲 : ウィキペディア日本語版
マンフレッド交響曲[まんふれっどこうきょうきょく]

バイロンの劇的詩による4つの音画の交響曲『マンフレッド』》( / )ロ短調作品58は、ピョートル・チャイコフスキー1885年5月から9月にかけて書き上げた管弦楽曲。バイロン卿1817年に書いた劇詩マンフレッド』(''Manfred'')に基づくチャイコフスキー唯一の標題交響曲であり、チャイコフスキーが番号付けを行なわなかった唯一の交響曲である(ただし順番から言うと、《交響曲 第4番》《交響曲 第5番》の間に作曲されている)。
ミリイ・バラキレフに献呈され、1886年3月11日に、マックス・エルトマンスデルファーの指揮によりモスクワで初演された。全曲を通した演奏は約55分である。作曲者によって1885年に4手ピアノ版も作成されている。
== 作曲の経緯 ==
「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想は、バラキレフによるものだった。しかし、なぜかバラキレフ自身が作曲に着手しようとはせず、エクトル・ベルリオーズに作曲を打診するが、ベルリオーズは高齢と病気の為、作曲を断っている。次にバラキレフが白羽の矢を立てたのがチャイコフスキーだったのである。バラキレフは1882年10月9日のチャイコフスキー宛の書簡で、自分が手をつけようとはしない理由を次のように釈明している。
:「この壮大な主題は私には似合いませんし、私の内なる精神構造にも調和しないのです。」
チャイコフスキーは1885年になるまでの数年間、この題材を忘れていたのだが、その年バイロンの『マンフレッド』をついに手に入れ、標題交響曲の作曲に着手したのである。バラキレフは予め、どのような標題を用いるべきか詳述し、どの調性を用いるべきかや転調の仕方まで指図してきたのだが、チャイコフスキーは自分自身の判断を貫いた。完成した際には、チャイコフスキーのいつもの癖で、本作を自分の最上の作品の一つと見なしていたのだが、時間が経つにつれて自信を失い、第1楽章を除いて破棄しなければと考えるようになった(ただしこの思い付きは実行されなかった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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