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マンブレッティ(''Mambretti'' )は、かつて存在したイタリアの映画会社である。「イタリア式コメディ」の代表作家ディーノ・リージ監督をデビューさせた会社として知られる。 == 略歴・概要 == 1951年、アントニオ・マンブレッティとマリオ・ヴィッラが共同で設立、映画製作を開始した。同年、ディーノ・リージ監督の『ギャングと過ごすヴァカンス ''Vacanze col gangster''』(日本未公開)を製作、リージを長編映画監督としてデビューさせた。のちにチェッキ・ゴーリ・グループを起こすマリオ・チェッキ・ゴーリがアソシエイト・プロデューサーとして名を連ねている。また同作では、まだ12歳の俳優テレンス・ヒル(マリオ・ジロッティ名義)もデビューしている。 また同年、アルベルト・ポゼッティと組んで三人組でコメディを撮ったマルチェロ・マルケージ、ヴィットリオ・メッツに、マリノ・ジロラミを加えた新三人組監督にコメディを撮らせた。脇役にまだ無名のソフィア・ローレンが出演していた。 1953年には、1949年末に、長編劇映画『カプリの皇帝 ''L'Imperatore di Capri''』(製作カルロ・ポンティ、製作会社ルックス・フィルム、日本未公開)がローマで公開され、最初の成功を得たルイジ・コメンチーニを借り出して、『夢のカバン ''La Valigia dei sogni''』(日本未公開)を撮った。しかし、コメンチーニはその年の暮れに公開されたジーナ・ロロブリジーダ主演の『パンと恋と夢』(製作総指揮マルチェロ・ジロージ)をティタヌス社で撮り、大ヒットさせ、年明け1954年の第4回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得、シリーズ化することになり、マンブレッティ社に戻ってくることはなかった。 時代の主流になろうとしていた「イタリア式コメディ」だけでなく、戦争映画(『''Carica eroica''』)などに手を出し、ついに1955年、伊仏合作『''Disperato addio''』を製作・配給したあとは、新作を更新することはなかった。 皮肉なことに同年、かつて同社でデビューしたディーノ・リージは、コメンチーニと同じくティタヌス社でマルチェロ・ジロージのプロデュースにより、ソフィア・ローレン主演の『''Il segno di Venere''』を撮り、第8回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マンブレッティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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