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馬 海泳(マ・ヘヨン、、1970年8月14日 - )は、大韓民国出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。主なポジションは一塁手で、守備技術は低いという訳ではないが、打撃を生かすため指名打者での出場が多かった。 == 経歴 == 高麗大学4年の時、出身地釜山を本拠地とするロッテ・ジャイアンツから地域優先ドラフトで指名を受けるも、1993年卒業後、現役処分を受けた兵役の遂行のために韓国国軍体育部隊である尚武(サンム、)に入隊。2年間の軍役の後、ロッテ・ジャイアンツに入団。1年目から内野のレギュラーに定着、全試合に出場しその後主軸打者として活躍。 1999年には打率.372で初の首位打者に輝き、フェリックス・ホセなどとともにチームを韓国シリーズ出場に導いた。当時韓国プロ野球ではFA制度導入を求める選手会と経営者側の対立が激しく、選手会の急先鋒だった馬海泳は球団に嫌われ、2001年1月に三星ライオンズへ若手無名選手との2対1トレードで移籍した。この事件の余波で、梁埈赫、沈正洙などの選手が当時の所属球団から移籍することになってしまった。 三星では李承ヨプの後の4番を打つことが多く、2002年には韓国シリーズ第6戦で優勝を決定する劇的なサヨナラ本塁打を打つなど活躍し、同シリーズMVPも受賞した。2003年オフには自己最高の38本塁打を記録すると、同年オフFAで起亜タイガースに移籍した。だが4年の大型契約を結んだ起亜ではロッテ、三星時代の豪快な打撃を見せることができず、期待外れに終わった。首脳陣と対立したこともあり、2005年オフに契約期間を2年残してLGツインズに3対3の大型トレードで移籍した。 だがLGでは起亜在籍時以上に活躍できず、2006年オフにはいったん自由契約となるが、就任したばかりの金在博新監督の要望で残留した。翌2007年はシーズンの大半を2軍で過ごし、オフには自由契約となった。2008年は古巣ロッテにテスト入団し、8年ぶりの復帰となったが、年齢による衰えもあり活躍できず1年で自由契約となった。この年ファン投票選出でオールスター戦に出場し、3打点をあげる活躍を見せたのが唯一の見せ場だった。結局同年限りで引退し、2009年からスポーツ専門のケーブルテレビ局の解説者に転身し、プロ野球中継に出演し続けている。2009年5月、実名こそ挙げなかったが、過去にプロ野球界で何人かの選手が薬物を使用していたと告白した暴露本を出し、物議をかもした。 2010年からは、大慶大学校(慶尚北道慶山市)で、兼任教授として教壇に立つことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬海泳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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