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マーガレット・ポール : ミニ英和和英辞書
マーガレット・ポール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーガレット・ポール : ウィキペディア日本語版
マーガレット・ポール[ちょうおん]

マーガレット・ポール(Margaret Pole, 1473年8月14日 - 1541年5月27日)は、イングランドの貴族。ヨーク家の一族で、クラレンス公ジョージイザベル・ネヴィルの娘。旧姓はマーガレット・プランタジネット(Margaret Plantagenet)。その名が示す通り、プランタジネット家男系の最後の生き残りであった。結婚するまではヨーク朝とテューダー朝の政治都合に翻弄されて浮沈の多い暮らしを送ったが、結婚後は安定した生活を送った。その後テューダー朝との関係も回復し、ソールズベリー伯の襲爵を許されて女伯爵になり、ヘンリー8世の娘メアリー(後のメアリー1世)の養育係にもなった。ヘンリー8世がイングランド国教会を設立すると再び関係は悪化し、1541年に反逆罪のためロンドン塔で処刑された。
== 生涯 ==

=== 少女期 ===
マーガレットは1473年サマセット州のファーレイ城で生まれた。当時の国王エドワード4世の弟という「血筋」を持った父クラレンス公ジョージと、男子継承者のなかったリチャード・ネヴィルの娘という「所領」を持った母イザベル・ネヴィルの長女として、極めて恵まれた環境に生まれた。だが、祖父の所領の継承権は母だけではなく叔母のアン・ネヴィルも持っており、姉妹の所領を巡って父クラレンス公は、アン・ネヴィルの夫で実の弟でもあるグロスター公リチャードと争っていた。グロスター公と叔母の間にはマーガレットと同じ年のエドワード・オブ・ミドルハムという男子継承者があり、父クラレンス公と母の間にも2つ下の弟エドワードがおり、所領の継承については先が見えない状況だった。
だが1476年12月、まだマーガレットが3歳の時に母イザベルが病死してしまう。ウォリック伯領の継承権を持った母が亡くなった事で政局は微妙に変化し、何とか挽回しようと焦った父クラレンス公の謀事が露見してかえって反逆罪で逮捕される。クラレンス公が処刑されるのは1478年2月、マーガレットがまだ4歳の時の事である。マーガレットと弟エドワードは叔母アン・ネヴィルに引き取られ、両親も有力な後見もない姉弟は自然と世間から忘れられていった。
1483年6月、叔父グロスター公がイングランド国王に即位する(リチャード3世)。自動的にマーガレットの庇護者であった叔母アン・ネヴィルは王妃に、従兄弟のエドワードはプリンス・オブ・ウェールズ(王太子)となる。だが翌1484年の4月に病弱だった王太子エドワードが病死してしまうと、既に子供のいないリチャード3世はマーガレットの弟エドワードを王位継承者に指名する。世間から忘れられた姉弟が再び歴史の表舞台に立った瞬間である。
だが、この幸せも長くは続かない。姉弟の最大の庇護者だった叔母アン・ネヴィルが1485年3月に病死すると、弟エドワードは王位継承者から外されてしまう。さらにこの年の8月には、叔父リチャードがボズワースの戦いリッチモンド伯ヘンリー・テューダーに敗れて戦死してしまった。またしても姉弟は後ろ盾を失うが、今度は世間は姉弟を忘れてはくれなかった。
1485年、リッチモンド伯は即位してヘンリー7世となりテューダー朝を開いた。当初はテューダー家の王権は不安定だったため、前ヨーク朝の血を引く姉弟は徹底的にマークされ、特にヨーク家の生き残りの男子で王位継承権を持っていた弟エドワードはロンドン塔に監禁された。政権が不安定なうちはエドワードの偽者(ランバート・シムネル)が出るなどしたため警戒が解かれる事はなかったが、政情が安定するにつれて警戒も緩まってきた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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