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マーク・ウッドフォード(Mark Woodforde, 1965年9月23日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス19位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス4勝、ダブルス67勝を挙げた。身長187cm、体重88kg、左利きの選手。 長年にわたり、ダブルスの名手として活躍した。とりわけ、同じオーストラリアのトッド・ウッドブリッジとのペアで無敵の強さを発揮したが、この2人は姓がよく似ていることから「ウッディーズ」(Woodies)と呼ばれた。グランドスラム優勝17回。ダブルス・混合ダブルス両方で生涯グランドスラム達成。 == 選手経歴 == 1984年にプロ入り。1986年1月にニュージーランド・オークランドの大会でシングルス初優勝を挙げたが、ツアー大会のダブルス初優勝は1988年9月のアメリカ・ロサンゼルス大会とサンフランシスコ大会の2週連続優勝であった。最初期のウッドフォードはジョン・マッケンローとペアを組むことが多く、1988年の2週連続優勝と、4大大会男子ダブルス初優勝となった1989年全米オープンではマッケンローがパートナーであった。 1991年から、ウッドフォードは6歳年下のトッド・ウッドブリッジとペアを組んで世界に君臨し始める。1992年にウッドブリッジとのペアで全豪オープン男子ダブルスに初優勝を飾り、1993年から1997年までウィンブルドン男子ダブルス5連覇を達成した。この頃から、2人のペアは「ウッディーズ」と呼ばれるようになる。ウッドフォードのシングルス優勝は、ウィンブルドン・ダブルス5連覇が始まった1993年2月のアメリカ・フィラデルフィア大会が最後で、通算4勝となった。 2人はウィンブルドン5連覇の期間中に、1995年と1996年の全米オープン男子ダブルスで2連覇を飾り、1997年には地元の全豪オープンで5年ぶり2度目の優勝を果たす。また、1996年アトランタ五輪のオーストラリア代表選手として、ウッドブリッジとのペアで金メダルを獲得したが、この決勝ではイギリス代表のティム・ヘンマンとニール・ブロードの組を圧倒している。しかし、1998年のウィンブルドン・ダブルス決勝ではオランダの強豪ペア、ヤッコ・エルティンとポール・ハーフースの組に「4時間5分」の激戦の末 6-2, 4-6, 6-7, 7-5, 8-10 で敗れ、6連覇はならなかった。 2000年に入り、ウッドフォードとウッドブリッジの組は全仏オープン男子ダブルスで初優勝を飾り、これで男子ダブルスの同一ペアとして「キャリア・グランドスラム」を達成した。2人は全仏オープンはあまり得意ではなく、初めての決勝戦は1997年でエフゲニー・カフェルニコフとダニエル・バチェク(チェコ)の組に敗れていた。この全仏優勝で、2人はペアとして通算「58勝目」に到達し、それまでジョン・マッケンロー&ピーター・フレミング組(ともにアメリカ)が持っていた「57勝」の歴代1位記録を更新した。続いてウィンブルドンでも3年ぶり2度目の優勝を果たし、オランダのハーフースとオーストラリアのサンドン・ストール(往年の名選手フレッド・ストールの息子)の組を破った。しかし、この年に地元で開催されたシドニー五輪の男子ダブルス決勝戦で、2人はカナダ代表のダニエル・ネスターとセバスチャン・ラルーの組に 7-5, 3-6, 4-6, 6-7 で敗れ、2大会連続の金メダルを逃した。35歳になったウッドフォードは2000年のシーズンを最後に現役を引退したが、最後の年にも全仏オープンとウィンブルドンを含めて、ダブルスで年間8勝を記録している。 「ウッディーズ」のダブルスは、ほぼ10年間に及んだ活動期間中に男子ツアー大会のダブルスで「61勝」を挙げ、同一ペアによる男子ダブルス優勝の1位記録であったが、2010年にボブとマイクのブライアン兄弟に更新されている。 男子テニス国別対抗戦・デビスカップでも、2人はデ杯オーストラリア・チームの「ダブルス最多勝利ペア」(Best Doubles Team)の記録を残している。 2010年、ウッドフォードとウッドブリッジは2人揃って国際テニス殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーク・ウッドフォード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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