|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マーク・ケアー(Mark Kerr、1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国の男性レスリング選手、総合格闘家。オハイオ州トレド出身。チーム・ケアー所属。UFC 14・15ヘビー級トーナメント優勝。 人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられた。 == 来歴 == 4歳からレスリングを始め、ハイスクール時代にオハイオ州の王者になる。1992年、NCAA優勝。1993年から1994年にレスリング全米選手権連覇(種目はフリースタイル)。フリースタイル時代はフォックスキャッチャーに所属し、同じ所属選手だったマーク・コールマン、カート・アングルらと共に活躍した。 1997年1月19日、総合格闘技デビュー戦となったWorld Vale Tudo Championship 3で優勝を果たした。この大会の賞金でプール付きの一軒家を購入した。また、当時ケアーを取材した記者はステロイド使用の痕跡を発見している〔【OCTAGONAL EYES】リアル・アメリカン・ヒーロー MMAPLANET 2010年3月16日〕。 1997年7月17日、UFC初参戦となったUFC 14ヘビー級トーナメントに出場し、優勝を果たした。 1997年10月17日、UFC 15ヘビー級トーナメントに出場し、2連覇を果たした。 1998年3月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE.2でブランコ・シカティックと対戦し、シカティックのロープ掴みで反則勝ち。 1999年9月12日、PRIDE.7でイゴール・ボブチャンチンと対戦し、グラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。後日、反則である4点ポジションでの膝蹴りだったため裁定が無効試合に変更された。 1999年11月21日のPRIDE.8でエンセン井上と対戦予定であったが欠場、公式には内臓疾患としか発表されなかった〔エンセン VS ケァー中止 BOUTREVIEW 1999年11月11日〕が後のドキュメンタリーで薬物中毒だったことが明らかになっている。 2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦の無差別級グランプリ1回戦でエンセン井上と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2000年5月1日、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦の無差別級グランプリ2回戦で藤田和之と対戦し、0-3の判定負け。キャリア14戦目で初黒星を喫した。 2001年7月29日、PRIDE.15でヒース・ヒーリングと対戦し、グラウンドの膝蹴りでTKO負け。その後ZERO-ONEでプロレスを数試合行った後、活動休止した。この間に、自身の麻薬中毒経験がアメリカのドキュメンタリー映画「The Smashing Machine」で明かされ、大きな反響を呼んだ。 2004年、2年7か月ぶりの復帰戦となったPRIDE.27で山本宜久と対戦し、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神TKO負けを喫した。 2006年11月2日、初参戦となったIFLでマイク・ホワイトヘッドと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。 2007年2月10日、初参戦となったCage Rageでムスタファ・アルタークと対戦し、パウンドでギブアップ負けを喫した。 2009年8月28日、初参戦となったM-1 Globalでキング・モーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーク・ケアー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mark Kerr (fighter) 」があります。 スポンサード リンク
|