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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マーク・ヤングブラッド(Mark Youngblood、本名:Mark Romero、1963年7月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州アマリロ出身。 父のリッキー・ロメロ、兄のジェイ・ヤングブラッド、弟のクリス・ヤングブラッドもプロレスラーである。インディアン・ギミックのベビーフェイスとして、弟クリスとのタッグチーム「レネゲード・ウォリアーズ(The Renegade Warriors)」などで活躍した。 == 来歴 == 1981年7月〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P84、P110(2002年、日本スポーツ出版社)〕、本名のマーク・ロメロの名義でデビュー。デビュー翌年の1982年には、NWAセントラル・ステーツ地区にて4月8日にジン・ルイス、12月13日にハーキュリーズ・ヘルナンデスを破り、同地区認定のTV王座を獲得。タッグではマイク・ジョージと組んで6月3日にジェリー・ブラウン&ロジャー・カービー、8月19日にデューイ・ロバートソン&ハーキュリーズ・ヘルナンデスから同タッグ王座を奪取した。 その後、マーク・ヤングブラッドと改名してジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に参戦。兄のジェイ・ヤングブラッドと同様のインディアン・ギミックのキャラクターに変身し、1984年3月7日にはトーナメントの決勝でディック・スレーターを下して空位となっていたTV王座を獲得。インディアン・レスラーの大御所ワフー・マクダニエルのパートナーにも抜擢され、同年3月4日にボブ・オートン・ジュニア&ドン・カヌードル、5月5日にジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取している。 フロリダでは兄ジェイ・ヤングブラッドとのコンビで活動し、1985年1月1日にクラッシャー・クルスチェフ&ジム・ナイドハート、3月5日にプリティ・ヤング・シングス(ココ・ウェア&ノーベル・オースチン)を破りUSタッグ王座を獲得したが、同年9月2日、遠征先のニュージーランドにてジェイ・ヤングブラッドが客死。以降、弟のクリス・ヤングブラッドをパートナーに活動を続けた。 1986年はフリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスのWCWA(WCCW)に参戦、9月1日にフォートワースにて行われたビッグイベント "WCWA Labor Day Star Wars" では世界タッグ王座の争奪トーナメントに出場し、ジョー・ルダック&リック・ルードなどのチームを破り勝ち進んだが、準決勝でバズ・ソイヤー&マット・ボーンに敗退した。 1987年より、カルロス・コロンの主宰するプエルトリコのWWCで活動。ザ・シープハーダーズ(ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムス)やミスター・ポーゴ&TNTなどを下し、WWC世界タッグ王座を再三獲得した。同年11月にはクリスと共に全日本プロレスに初来日し、世界最強タッグ決定リーグ戦に出場している。以降もWWCを主戦場に、サモアン・スワット・チーム(サムゥ&ファトゥ)、カンザスシティ・ジェイホークス(ボビー・ジャガーズ&ダン・クロファット)、ニンジャ・エクスプレス(ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴ)などを抗争相手にタッグ王座を争った〔。 1990年の下期からは、レネゲード・ウォリアーズのチーム名でWCWに登場。ファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)、ナスティ・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)、フォー・ホースメン(アーン・アンダーソン&バリー・ウインダム)、ヤング・ピストルズ(トレイシー・スマザーズ&スティーブ・アームストロング)などの強豪チームと対戦している。 その後はダラスの新団体GWFをアメリカでの活動拠点とする一方、1992年1月の再来日以降は全日本プロレスの常連外国人チームとなり、1996年の夏にかけて通算8回に渡ってクリスと共に全日本へ参戦〔。以後、古巣WWCでの活動を経て1999年に引退した。 近年は、2007年に地元のアマリロで開校したプロレスラー養成所 "''Romero's Academy of Wrestling''" にて後進の指導にあたっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーク・ヤングブラッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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