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マーゴット・フォンテーン : ミニ英和和英辞書
マーゴット・フォンテーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーゴット・フォンテーン ( リダイレクト:マーゴ・フォンテイン ) : ウィキペディア日本語版
マーゴ・フォンテイン[ちょうおん]

デイムマーゴ・フォンテイン(Dame Margot Fonteyn de Arias DBE, 1919年5月18日 - 1991年2月21日)は、イギリスバレエダンサー。本名はマーガレット・イヴリン “ペギー”・ホッカム(Margaret Evelyn "Peggy" Hookham)。芸名のフォンテインは、母方の祖父の姓 Fontes のもじりである。
アイルランド系である母親がブラジル人とのハーフだったので、アングロ・サクソン系らしからぬ黒髪黒目のエキゾチックな容貌が特徴的だった。幼少時からバレエを習い始め、父親の赴任先の上海でもロシア人舞踊師から手ほどきを受けていた。帰国後はサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校で学ぶ。入学当初から学校長兼ヴィック・ウェルズ・バレエ(後のロイヤル・バレエ団)芸術監督のニネット・ド・ヴァロアに見出され、徹底的に鍛えなおされたという。
1934年、舞台デビューした。翌年、バレエ・リュス出身のプリマ、アリシア・マルコワ退団のあとをうけてプリマ・バレリーナとなった。1946年、全米ツアー公演で踊った『眠れる森の美女』オーロラ姫が当たり役となり、注目を浴びる。その後もロイヤル・バレエで活躍する他、1954年から王立舞踏学院の院長を務めた。1956年にデイムの称号を与えられた。代表作は『ジゼル』『眠れる森の美女』『白鳥の湖』など。映画『小さなバレリーナ』(1947年)にも出演した。
1963年、引退がささやかれていた時期にソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフと『ジゼル』で共演する。これが評判となり、以降ヌレエフとの間に10年以上に及ぶパートナーシップで再びバレエ界に名をとどろかした。特に2人の『眠れる森の美女』、『ロメオとジュリエット』は有名で、後者は映像化された。1955年パナマの外交官ロベルト・デ・アリアスと結婚した。その後、夫アリアスはパナマで政界進出を目論むが、1967年遊説中に狙撃され、下半身不随となった。フォンテインは夫を最後まで看取った。1991年ガンによりパナマで死去した。
== 映像作品 ==
主演
*1966年: 『白鳥の湖』 - 振付:レフ・イワノフ/マリウス・プティパ 改編:ルドルフ・ヌレエフ、作曲:ピョートル・チャイコフスキー
*1966年: 『ロメオとジュリエット』 - 振付:ケネス・マクミラン、作曲: セルゲイ・プロコフィエフ

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Margot Fonteyn 」があります。




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