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マーダヴ・ラーオ : ミニ英和和英辞書
マーダヴ・ラーオ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーダヴ・ラーオ : ウィキペディア日本語版
マーダヴ・ラーオ[ちょうおん]

マーダヴ・ラーオマラーティー語:माधवराव पेशवे, 英語:Madhav Rao, 1745年2月14日 - 1772年11月18日 )は、インドデカン地方マラーター王国の世襲における第4代宰相(ペーシュワー、在位:1761年 - 1772年)。マラーター同盟の盟主でもある。マーダヴ・ラーオ1世(Madhav Rao I)、マーダヴ・ラーオ・バッラール(Madhav Rao Ballal)とも呼ばれる。
彼はマラーター同盟が分裂し、マラーター王国が危機にさらされるなか、近隣のニザーム王国マイソール王国と戦って勝利した。さらには遠くデリーにまで遠征し、マラーターの権威を保つことに成功している。


==生涯==

===宰相就任まで===

1745年2月14日、マラーター王国の宰相バーラージー・バージー・ラーオの息子としてサヴァヌールで生まれた。
本来、マーダヴ・ラーオはマラーター王国の宰相位を継ぐ立場にある人物ではなかった。だが、1761年1月14日第三次パーニーパトの戦いで兄ヴィシュヴァース・ラーオアフガン軍に殺されたため、急遽として後継者の地位が回ってきた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p219〕。
同年6月23日、父バーラージー・バージー・ラーオがパーニーパトにおける敗戦のショックで死亡したため、彼は王国の宰相となった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p219〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーダヴ・ラーオ」の詳細全文を読む




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