翻訳と辞書
Words near each other
・ マーティン・ストーン
・ マーティン・スパンジャーズ
・ マーティン・セリグマン
・ マーティン・ソレル
・ マーティン・タイラー
・ マーティン・ダグレニアー
・ マーティン・ダーリン
・ マーティン・チャズルウィット
・ マーティン・チャルフィ
・ マーティン・チャルフィー
マーティン・ディーゴ
・ マーティン・デニー
・ マーティン・デンプシー
・ マーティン・トロウ
・ マーティン・トロー
・ マーティン・ドネリー
・ マーティン・ドノヴァン
・ マーティン・ドルーシャウト
・ マーティン・ニーベラ
・ マーティン・ニールセン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マーティン・ディーゴ : ミニ英和和英辞書
マーティン・ディーゴ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティン・ディーゴ : ウィキペディア日本語版
マーティン・ディーゴ[ちょうおん]

マーティン・マグダレノ・ディーゴ・リアノスMartín Magdaleno Dihigo Llanos , 1905年5月25日 - 1971年5月20日)は、キューバマタンサス州シドラ出身のプロ野球選手投手内野手外野手)。右投げ右打ち。愛称"El Maestro"エル・マエストロ)。
== 経歴 ==
-シーズンに16歳でキューバ国内リーグ"リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル"のレオネス・デル・ハバナプロ野球選手としてのキャリアを始めた。
1923年からアメリカ合衆国ニグロリーグのキューバ人選抜チームであるキューバン・スターズ (イースト)に所属し、当初は主に一塁手として出場していた。
ニグロリーグではにイースタン・カラードリーグ本塁打王のタイトルを獲得した。ニグロナショナルリーグニューヨーク・キューバンズに所属したにも2度目の本塁打王のタイトルを獲得するなど、打撃面でも目を見張る成績を残した。を最後にニグロリーグを離れた。
キューバリーグでは-シーズン、1935-1936シーズン、1936-シーズン、-シーズンと計4度のMVPを獲得した。
メキシカンリーグではに打者として打率.387、また投手としては18勝2敗・防御率0.90の成績を残している。資料によれば、メキシカンリーグ史上最初のノーヒットノーランを達成(1937年9月16日)したのがディーゴだと言われている。また同年、当時の大投手だったサチェル・ペイジと対決した試合があり、その試合では前半にペイジと投手戦を演じたあと、9回に自ら決勝の本塁打を放ってチームを勝利に導くという大活躍をやってのけた。〔NLBPAによれば、この試合でペイジは腕を痛めていたために、アンダースローで制球重視の投球をしていたが、それでも6回まで無失点に抑えていたそうである。〕
その後はにニグロリーグのニューヨーク・キューバンズ選手兼任監督として1年だけプレーして、イーストウェスト・オールスターゲーム(ニグロリーグのオールスターゲーム)にも10年ぶりに選ばれた。
にキューバリーグでのキャリアを終え、メキシカンリーグで選手兼任監督としてプレーした。
にキューバリーグで1試合だけ「現役復帰」して2を投げた。通算107勝76敗は革命前のキューバリーグでは最も多い勝利数である。また、通算121完投もリーグ最多。
キューバ野球殿堂入りを果たした。
フィデル・カストロを早くから支持し、キューバ革命の成功後は亡くなるまでスポーツ省の大臣を務めていた。
1971年5月20日に死去。。
ニグロリーグ特別委員会による選考でアメリカ野球殿堂入りを果たした。この他、メキシコ、ベネズエラドミニカ共和国の野球殿堂にも名前を刻んでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーティン・ディーゴ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.