|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout)は英国のフランドル系版画家。1623年のウィリアム・シェイクスピアの作品集『ファースト・フォリオ』のタイトル肖像画を作ったことで知られる。 マーティン・ドルーシャウトなる人物は2人いたことから、正確な身元は明らかではない。伝統的には小マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout the Younger, 1601年生)が版画家と考えられていたが、近年の研究では彼のおじ大マーティン・ドルーシャウト(Martin Droeshout the Elder, 1560年代 - 1642年ごろ)であるとする説が有力となった。 == どちらのマーティン・ドルーシャウトか == 殆どの資料は、版画家はブリュッセルからの移民ミヒェル・ドルーシャウト(Michael Droeshout)の息子小マーティン・ドルーシャウトだったと述べている。誕生日と出身地を除き、小マーティンについて確かな事は知られていないが、父が版画家であったため、それを継いでシェイクスピアの肖像を彫ったと考えられる。驚くべきことにシェイクスピアの死亡時にドルーシャウトはまだ15歳であったが、そのシェイクスピアの肖像画はベン・ジョンソンに「生き写し」(true to life)と言わせた。彼が本当にシェイクスピアに会っていたとしても、作品は記憶からではなく、失われたシェイクスピアの絵から作られたと考えられる。この肖像画が作られたのは小ドルーシャウトがわずか22歳という異常に若い頃の作品である。 しかしながら、メアリ・エドモンズによるドルーシャウト家への調査により、小マーティン・ドルーシャウトのおじ大マーティン・ドルーシャウトの情報が明らかになった。大ドルーシャウトはPainter-Stainer's Companyの一員で、彼も版画家であった可能性が示された。エドモンズの著書によると :"It seems perverse to attribute the Shakespeare engraving to the obscure and unsuitably young Martin Droeshout, born in 1601, as is customary, when there is a quite well-documented artist of the same name to hand, in the person of his uncle".〔Mary Edmonds, "It was for gentle Shakespeare cut". ''Shakespeare Quarterly'' 42.3 (1991), p. 343.〕(記録が全くよく残っている身近にいた同名の芸術家がいる場合、慣習的に、おじの代わりに、無名で不適当な若さである1601年生まれの小マーティン・ドルーシャウトがシェイクスピアの版画に携わったというのは変である。) エドモンズはまた大ドルーシャウトが肖像画家マークス・ヘラート(Marcus Gheeraerts)と関係をもっていたことを指摘し、ヘラートによるシェークスピアの肖像画がかつて存在した証拠を示し、ドルーシャウトの版画はその失われた肖像画からではないかと推測した(p. 344)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーティン・ドルーシャウト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|