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マーティン・ニーヴェラ : ミニ英和和英辞書
マーティン・ニーヴェラ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティン・ニーヴェラ ( リダイレクト:マーティン・ニーベラ ) : ウィキペディア日本語版
マーティン・ニーベラ[ちょうおん]


マーティン・ニーベラ(Martin Nievera、1962年2月5日 - )は、フィリピンシンガーソングライター俳優。フィリピン・マニラ出身。本名は、マーティン・レイモン・ラゾン・ニーベラ(Martin Ramon Razon Nievera)〔マーティン・ニーベラ公式ウェブサイト 〕。
==来歴==

*1962年2月5日 - フィリピン・マニラにて、父のバート・ニーベラと母のコンチタ・ラゾンの間に双子として妹・ヴィクトリアとともに生まれる。
*1960年代~1970年代前半 - 父が「the group Society of Seven」で歌手として活動していたため、子供時代のほとんどを両親とハワイで過ごした。
*1970年代後半 - アメリカ・カリフォルニア湾岸に渡り、高級住宅地に短期間住んでいた。
*1980年 - カリフォルニア州・コンコードにあるクレイトン・バレー高校を卒業する。
*1982年 - 歌手である父、バート・ニーベラがフィリピンに帰郷することとなり、それがマーティン自身の歌手活動を開始する契機となった。
*1982年6月 - 1st.アルバム『Martin...Take One』でデビューする。また、テレビ娯楽番組『Penthouse Live!』において、ポップス・フェルナンデス(後にニーベラ夫人となる)と共同司会を始める。
*1984年 - 2nd.アルバム『The Best Gift』を発表。フィリピン国内で称えられる。
*1987年 - 結婚を機にテレビ娯楽番組『Penthouse Live!』は、『Martin and Pops Twogether』に番組名を衣替えをした。その後、私生活では2人の子供に恵まれた。
*1999年 - 9th.アルバム『Forever』を発表。後に2000年に10th.アルバム『Forever Forever』、2001年に11th.アルバム『Return to Forever』の2つの続編を生み出した。
*2008年2月13日4月13日 - フラミンゴ・ラスベガスにおいて、ハワイのSociety of Sevenとラニ・ミサルカに参加する。
*2009年2月6日 - アラニータ・コロシアムで"Missing You"と題したコンサートを妻のポップス・フェルナンデスと共演した。この日はニーベラの誕生日とバレンタインデーの間を選んで行われたものである。また、『ASAP XV』と題した音楽ショーを毎週催した。
*2010年7月 - 20th.アルバム『As Always』を発表する。
*2011年5月 - 21st.アルバム『Himig Ng Damdamin』はカバー曲集で、日本シンガーソングライター崎谷健次郎の楽曲「涙が君を忘れない」も「Babalikang Muli」として収録されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーティン・ニーベラ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Martin Nievera 」があります。




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