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マーティン・フロビシャー : ミニ英和和英辞書
マーティン・フロビシャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティン・フロビシャー ( リダイレクト:マーティン・フロビッシャー ) : ウィキペディア日本語版
マーティン・フロビッシャー[ちょうおん]

サー・マーティン・フロビッシャーSir Martin Frobisher1535年または1539年ごろ - 1594年11月15日)は、イギリスの航海者、私掠船船長、探検家
私掠船に乗ってフランス船などを襲い多くの富をイングランドにもたらした。北西航路の探検を始めた後は、3度にわたり現在のカナダバフィン島(レゾリューション島およびフロビッシャー湾)を訪れ、航路よりもの採取に熱中したが、結局採取した鉱石は金ではなくただの黄鉄鉱だったことがわかった。1588年アルマダの海戦では、スペイン艦隊の撃退に対する貢献から爵位を贈られている。
== 私掠船船長 ==
フロビッシャーはヨークシャー西部のノーマントン(Normanton)にあった14世紀以来の旧家で、父バーナード・フロビッシャーとナイトの家系出身の母のもとに生まれた。父が早くに亡くなったため、母はロンドンに住む弟のサー・ジョン・ヨークのもとに息子を送り教育させた。フロビッシャーは学問はほとんどしなかったが、勇敢さを叔父ヨークからも認められていた〔Biography at the ''Dictionary of Canadian Biography Online'' 〕。1550年、ヨークはフロビッシャーを船乗りとして育てることとし、1553年にはヨークが出資するギニアへの航海にフロビッシャーを送り出し、フロビッシャーは生還した〔。翌1554年にもギニアに交易の航海に出たが、彼はここでポルトガル人に捕まり数カ月間囚えられている。1559年には結婚している。
フロビッシャーはギニアからの帰国後、私掠船の世界に身を投じた。やがて数年後にはイングランドでも最も大胆で不届きな海賊の一人として知られるようになる。1564年の海事裁判所の記録では、「彼の名はスペインのフェリペ王にも知られており、ジョン・ホーキンスと同じくらい憎まれている」とある〔。やがて彼はイングランド女王エリザベス1世の宮廷に接近し、女王のための任務につくようになる。1571年にはアイリッシュ海で合法的な警備活動を任され、フランス船やポルトガル船を襲う一方、女王が進めていたアイルランド征服の軍事活動を支援した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーティン・フロビッシャー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Martin Frobisher 」があります。




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