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マーティン・ヘグルンド : ミニ英和和英辞書
マーティン・ヘグルンド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティン・ヘグルンド : ウィキペディア日本語版
マーティン・ヘグルンド[ちょうおん]

マーティン・ヘグルンド(Martin Hägglund, 1976年11月23日 - )は、スウェーデン出身の哲学者、文学理論家、近代文学研究者。イェール大学比較文学人文学教授〔http://complit.yale.edu/h-gglund〕。また、ハーバード・ソサイエティ・オブ・フェローズのメンバー〔http://www.socfell.fas.harvard.edu/senior%20and%20junior%20fellows.html〕として、2009年から2012年までジュニア・フェローを務めた。著書には次のものがある。『Dying for Time: Proust, Woolf, Nabokov』(2012年)、『Radical Atheism: Derrida and the Time of Life』(2008年)、『Kronofobi: Essäer om tid och ändlighet』(英語名『Chronophobia: Essays on Time and Finitude』、2002年)。
== 代表作 ==

=== ''Radical Atheism'' ===
ラディカル無神論(Radical Atheism)とは、脱構築に対する重要な介入であり、ジャック・デリダの思考における時間と空間、生と死、善と悪、自己と他者という二項関係に新たな説明を与える概念である。デリダの思考には倫理的・宗教的「転回」があったという一般的な考えに反して、ヘグルンドの主張によれば、ラディカル無神論こそがデリダの初期から晩年の著作に一貫した思想であったといえる。伝統的に、無神論は神や不死を否定してきたが、神や不死に対する欲望についての問題は問われてこなかった。対照的に、ラディカル無神論が示そうとしているのは、無時間的永遠性に対する欲望(不死)は時間の中で生き続けたいという欲望(生存)とは異化している、ということである。我々のあらゆるコミットメントは、超越的な理念への依存ではなく、有限な生に対する投資と配慮を前提としているのである。脱構築的な時間理論を展開しつつ、ヘグルンドが論じているのは、デリダが時間的有限性という条件のもとで、アイデンティティーの構成、倫理の暴力性、宗教の欲望、政治的解放といった主題をいかに再考しているかである。
「ラディカル無神論」は、コーネル大学で行われた学術会議「The Challenge of Radical Atheism: Critical Responses」〔http://vivo.cornell.edu/individual/vivo/TheChallengeofRadicalAtheismCriticalResponses〕の主題であるとともに、学術誌『CR: The New Centennial Review, Living On: Of Martin Hägglund』〔
*The New Centennial Review'', 9.1 (2009), Special Issue ''Living On: Of Martin Hägglund'' 〕特集号のテーマに選ばれ、デレク・アトリッジ、ジョン・カプート、エルネスト・ラクラウらによる議論と応答が掲載された〔Laclau ”Is Radical Atheism a Good Name for Deconstruction?”とHägglund, ”Time, Desire, Politics: A Reply to Ernesto Laclau” (どちらも''Diacritics'' 38.1-2 (2008)所収)を参照。Attridgeの ''Reading and Responsibility'' (Edinburgh UP 2010) と''Radical Atheism''の書評(''Derrida Today'' 2.2 (2009) 所収)、及びそれに対するHägglundの応答(''Derrida Today'' 3.2 (2010)所収)も参照。Attridgeの''Radical Atheism'' の分析とHägglundの応答はオックスフォード大学でのコロキウムのテーマにもなった。HägglundとCaputoの議論はハーバード大学で開かれたデリダと宗教(Derrida and Religion)会議で扱われ、後に出版された。Caputo "The Return of Anti-Religion: From Radical Atheism to Radical Theology"とHägglund "The Radical Evil of Deconstruction: A Reply to John Caputo" (どちらも''JCRT'' 11.2 (2011)所収)を参照。〕。ラクラウは次のように述べている。「ヘグルンドの分析は脱構築の零度と呼べる点に達している。この地点において脱構築の論理は内的潜在力を発揮しており、他の様々な種類の(倫理的、宗教的などの)ヘゲモニー的言説には回収されえない」〔Laclau, ”Is Radical Atheism a Good Name for Deconstruction?,” 188〕。ジョナサン・カラーは、「宗教における脱構築を求める者に対する決定的な応答」〔Culler, preface to the 25th anniversary edition of ''On Deconstruction'', Cornell UP, 2007〕だとしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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