翻訳と辞書
Words near each other
・ マーティン郡区 (アーカンソー州ポープ郡)
・ マーティン郡区 ポープ郡 (アーカンソー州)
・ マーティ・キーオ
・ マーティ・キーナート
・ マーティ・クロンパイア
・ マーティ・コルドバ
・ マーティ・コードバ
・ マーティ・サーボ
・ マーティ・ジャネッティ
・ マーティ・ノースタイン
マーティ・バレット
・ マーティ・バーゲン
・ マーティ・パンザー
・ マーティ・フェルドマン
・ マーティ・フリードマン
・ マーティ・フレデリクセン
・ マーティ・ブラウン
・ マーティ・ペイチ
・ マーティ・マリオン
・ マーティ・リチャーズ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マーティ・バレット : ミニ英和和英辞書
マーティ・バレット[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティ・バレット ( リダイレクト:マーティー・バレット ) : ウィキペディア日本語版
マーティー・バレット[ちょうおん]

マーティー・バレットMartin Glenn Barrett , 1958年7月23日 - )は、MLBで活躍した野球選手。
内野手二塁手)で、主にボストン・レッドソックスで活躍。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州アルカディア出身。
弟のトム・バレットフィラデルフィア・フィリーズとボストン・レッドソックスでプレイした二塁手。
== 人物・来歴 ==
アリゾナ州立大学を卒業し、ボストン・レッドソックスに入団。
マイナーでのプレイを経て1982年終盤にメジャー昇格し、同年9月6日にメジャーデビュー。
この年は8試合の出場。1983年も33試合の出場にとどまったが、1984年にレギュラーに定着。
139試合の出場で打率.303、3本塁打、45打点の成績を残した。1985年にも156試合に出場。
通算18本塁打と長打力はなく、盗塁も最高15(通算57)で俊足というわけではないが、二番打者として活躍。
三振は少なく、通算3,378打数でわずか209三振であった。
1986年1988年は3年連続で犠打(送りバント)はア・リーグ1位であった。(それぞれ18個、22個、20個。)
ゴールドグラブ賞こそ、当時はフランク・ホワイトロイヤルズ)、ルー・ウィテカータイガース)らの名手に阻まれたが、守備力も平均以上であった。
1986年には自己最多の158試合に出場。安打179、打率.286、本塁打4、打点60、盗塁15の活躍でチームの地区優勝に貢献。
ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(対カリフォルニア・エンゼルス)では24打数14安打の大活躍でワールドシリーズ進出に貢献。
このシリーズのMVPに選ばれた。
14安打はア・リーグ、ナ・リーグを問わず、現在でもチャンピオンシップシリーズの最多記録である。
ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでも30打数13安打(打率.433)を記録。
もしチームが勝っていたら、ここでもMVPに選ばれた可能性があったが、3勝3敗で迎えた第7戦、5-8とリードされて9回2死で打席に入り、ジェシー・オロスコに三振に打ち取られ、最後の打者となった。
その後も、1987年に137試合、1988年に150試合に出場し、1980年代を通じてレッドソックスでもっとも多く先発・二塁で起用された選手となった。
しかし、1989年6月4日の試合(守備)中、一塁ベースのカバーに入ってつまずき、膝を故障。
以後は正二塁手の座を失い、1990年限りでレッドソックスを解雇。
1991年にはサンディエゴ・パドレスに移籍するが、わずか12試合の出場で5月に解雇され、そのまま現役を引退した。
引退後、膝の故障に診察ミスがあり、バレットの同意なしに治療を行って失敗したことで選手生命が縮んだとしてレッドソックスの当時のオーナーとチームドクターを相手に訴訟を起こす。
勝訴し、170万ドルの賠償金を得た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーティー・バレット」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marty Barrett (second baseman) 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.