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マーティー・マリオン(Martin Whiteford Marion、1917年12月1日 - 2011年3月15日)は、主に1940年代に活躍したアメリカ合衆国の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。右投げ右打ち。ニックネームは"Slats"(スラッツ)、"The Octopus"(ジ・オクトパス)。第二次世界大戦期のセントルイス・カージナルスの名遊撃手で、1944年のナショナルリーグ最優秀選手。 == 来歴・人物 == サウスカロライナ州リッチバーグ出身。1936年にカージナルスと契約、1940年に22歳でメジャーに昇格し1年目から125試合に出場した。身長はおよそ190cmもあったが体重は80kgにも満たない細身で、当時まだ小柄な選手が多かった中では珍しい大型の遊撃手だった。長い手足をのばしてゴロを捌く姿から、マリオンは記者たちから「オクトパス」というあだ名をつけられた。 2年目に155試合に出場、この年の28犠打はリーグ最多であった。3年目の1942年にはリーグ最多の38本の二塁打を記録したが、マリオン自身はむしろ堅実な守備力を買われていた選手であった。リーグの最優秀選手に選ばれ2度目のワールドシリーズ制覇を遂げた1944年には、リーグ最高の守備率.972を記録、3度目のワールドシリーズを制した1946年には、145試合で刺殺・補殺・併殺数いずれもリーグ最多を記録した。オールスターゲームにも1943年以降8年連続で選ばれている。 1950年のシーズンで一度選手を退き、翌1951年にカージナルスの監督を務めたが、1952年からはロジャース・ホーンスビーの後釜としてセントルイス・ブラウンズで選手兼任監督となり現役復帰をしている。その後1954年から3年間ホワイトソックスの監督を務めた。 2011年3月15日、病気の為に死去〔Former MVP Marion dies at age 93 St.Louis cardinals Official Press Release 2011-3-16〕〔名遊撃手マーティー・マリオン氏が死去 日刊スポーツ 2011年3月17日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーティー・マリオン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marty Marion 」があります。 スポンサード リンク
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