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マービン・ハート : ミニ英和和英辞書
マービン・ハート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マービン・ハート : ウィキペディア日本語版
マービン・ハート[ちょうおん]

マービン・ハート(Marvin Hart, 1876年9月16日 - 1931年9月17日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州出身のプロボクサー。元世界ヘビー級王者。空位の王座を決定戦で獲得したという経緯から、その実力に疑問符が付けられることが多い。しかしタフさには定評があり、不器用なボクシングながらも判定に持ち込むスタイルで、同時代の実力者を苦しめた。後に黒人初の世界王者となるジャック・ジョンソンとも直接対決し、これを判定で下している。
== 来歴 ==
1899年12月12日、プロデビュー。
1902年11月10日、後にヘビー級王座を争うことになるジャック・ルートと初対戦。判定負け。
1902年11月19日、フィラデルフィア・ジャック・オブライエンと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定負け)
1903年5月5日、フィラデルフィア・ジャック・オブライエンと再戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)
1903年11月16日、ジョー・コインスキーと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)
1904年4月20日、ガス・ルーリンと対戦。無判定試合(ニュースペーパー・デシジョンでは判定勝ち)
1904年5月20日、ガス・ルーリンと再戦。ドロー。
1905年3月28日、ジャック・ジョンソンと対戦。当時王座に最も近い白人と黒人の対決と注目を集める中、両者は20回を戦い抜き、ハートが判定勝利をおさめた。レフェリーをつとめたAlec Greggainsは、試合におけるハートの積極性とボディへの有効打を評価したと語った。なおジョンソンは引退後、ハートについて「対戦した中で最高にタフな男の一人だった」と語っている。〔Donnellon, Matt "MARVIN HART-TRUE HEAVYWEIGHT CHAMPION ", ''The International Boxing Research Organization'', 2008-07-01. Retrieved on 2008年7月1日
1905年7月3日、空位の世界ヘビー級王座をめぐって、ジャック・ルートと決定戦を行う。レフェリーは前チャンピオンのジェームス・J・ジェフリーズがつとめた。ハートは12ラウンドKO勝ちをおさめ、第5代世界ヘビー級王者となった。
1906年2月23日、初防衛戦でトミー・バーンズと対戦。20回判定負け。王座陥落。
1910年12月20日、引退。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マービン・ハート」の詳細全文を読む




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