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ミカエル・ロドラ : ミニ英和和英辞書
ミカエル・ロドラ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ミカエル・ロドラ : ウィキペディア日本語版
ミカエル・ロドラ

ミカエル・ロドラMichaël Llodra, 1980年5月18日 - )は、フランスパリ出身の男子プロテニス選手。ダブルスの得意なサーブ&ボレースタイルの選手として知られる。自己最高ランキングはシングルス21位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス26勝を挙げた。身長190cm、体重80kg、左利き。
ダブルスで4大大会優勝3回、マスターズ・カップ優勝1回、オリンピック銀メダルも獲得している。
== 来歴 ==
6歳からテニスを始め、1999年にプロ入り。2002年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップフランス代表選手となり、ダブルス戦で活躍を始める。2002年から2004年までの3年連続で、ロドラは8歳年上のフランスの先輩選手ファブリス・サントロとペアを組んで全豪オープンの男子ダブルス決勝に進出した。2002年の全豪ダブルス決勝ではダニエル・ネスターカナダ)&マーク・ノールズバハマ)組に 6-7, 3-6 で敗れたが、翌2003年の全豪ダブルスでは2年連続の決勝対決となったネスター&ノールズ組を 6-4, 3-6, 6-3 で破り、4大大会男子ダブルス部門で初優勝を飾った。2004年全豪オープンでは、ロドラとサントロの組はアメリカボブ・ブライアンマイク・ブライアンの「ブライアン兄弟」を 7-6, 6-3 で破り、男子ダブルス2連覇を達成した。
しかし、2人は同年の全仏オープン男子ダブルス決勝で、ベルギーペアのオリビエ・ロクス&グザビエ・マリス組に 5-7, 5-7 で敗れてしまう。この全仏オープンでは、2人のペアは準々決勝でネスター&ノールズ組、準決勝で「ブライアン兄弟」と強豪ペアを連破して勝ち上がったが、地元大会での男子ダブルス優勝を逃した。同年のアテネ五輪でも、ロドラはフランス代表選手としてサントロとペアを組んで出場し、男子ダブルス1回戦では全仏決勝で苦杯をなめたベルギー代表のロクス&マリス組を破ったが、準々決勝でクロアチア代表のマリオ・アンチッチ&イワン・リュビチッチ組に 6-4, 3-6, 7-9 の逆転で敗れた。2005年の男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」決勝で、ロドラとサントロの組はリーンダー・パエスインド)&ネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)組を 6-7, 6-3, 7-6 で破って初優勝した。
しかし、抜群の相性を誇ったロドラとサントロはこの2005年テニス・マスターズ・カップ優勝を最後にペアを解消する。2006年から、ロドラは同じフランスアルノー・クレマンと組んで試合に出場することが多くなった。2007年ウィンブルドンで、ロドラとクレマンは初めての男子ダブルス決勝で「ブライアン兄弟」を 6-7, 6-3, 6-4, 6-4 の逆転で破り、初優勝を決めた。ロドラにとっては、2004年全豪オープン以来3年ぶりの4大大会男子ダブルス3勝目になる。2人は2008年全豪オープンでも男子ダブルス決勝に進出したが、イスラエルペアのアンディ・ラム&ジョナサン・エルリック組に 5-7, 6-7 で敗れ、ロドラは4年ぶり3度目の全豪男子ダブルス優勝を逃した。同年の北京五輪で、ロドラとクレマンは男子ダブルス準決勝でスウェーデンシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組に 6-7, 6-4, 17-19 で競り負け、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」に回った。2人は銅メダル決定戦でアメリカボブマイクブライアン兄弟組に 6-3, 3-6, 4-6 で逆転負けを喫し、男子ダブルスのメダルを逃した。
2010年12月のデビスカップ決勝ではクレマンと組んだダブルスでビクトル・トロイツキ&ネナド・ジモニッチ組に逆転勝ちしたが、2勝2敗で迎えた最終戦のシングルスで、ロドラはトロイツキに完敗し、フランスは優勝を逃した。2011年はジモニッチとのペアでダブルス4勝を挙げ、自己最高のダブルスランキング3位を記録した。
2012年7月のロンドン五輪で3度目の五輪に出場した。ジョー=ウィルフリード・ツォンガと組んだダブルスに出場し、準決勝でスペインのダビド・フェレール&フェリシアーノ・ロペス組に 6-3, 4-6, 18-16 で勝利し決勝に進出した。決勝ではボブマイクのブライアン兄弟組に 4-6, 6-7 で敗れ銀メダルを獲得した。
シングルスでのロドラは、2004年全仏オープン全米オープンの2大会で4回戦に進出した。敗れた対戦相手は、全仏オープンがティム・ヘンマンイギリス)で、全米オープンはヨアキム・ヨハンソンスウェーデン)であった。2008年のシーズンは久々にシングルスでも好成績を出し、全仏オープンで2度目の4回戦に勝ち残った。4年ぶりの全仏4回戦で、ロドラはエルネスツ・ガルビスラトビア)にストレート負けした。2011年ウィンブルドン選手権でウィンブルドンでは初めてとなる4回戦に進出したが、優勝したノバク・ジョコビッチに 3-6, 3-6, 3-6 で完敗した。
ロドラは2014年に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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