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ミケランジェロ・アントニオーニ : ミニ英和和英辞書
ミケランジェロ・アントニオーニ[みけらんじぇろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ミケランジェロ : [みけらんじぇろ]
 【名詞】 1. Michelangelo 2. (n) Michelangelo
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ミケランジェロ・アントニオーニ : ウィキペディア日本語版
ミケランジェロ・アントニオーニ[みけらんじぇろ]

ミケランジェロ・アントニオーニMichelangelo Antonioni, 1912年9月29日 - 2007年7月30日) は、イタリア映画監督
== 生涯 ==
1912年9月29日フェラーラで生まれた。ボローニャ大学を卒業後、地元の新聞に映画批評を寄稿。1940年ローマに移住。チネチッタで映画製作を学び、後にアントニオーニの作品に携わる数人の映画技術者に出会った。1942年にはロベルト・ロッセリーニの『ギリシャからの帰還』の脚本を執筆し、マルセル・カルネの『悪魔が夜来る』で助監督を務めた。
1947年短編ドキュメンタリー『''Gente del Po''』で映画監督としてデビュー。その後も『愛すべき嘘』(1949年)など数本の短編ドキュメンタリーを製作し、1949年に初の長編となったドキュメンタリー『''Ragazze in bianco''』を発表した。
1950年、初の長編劇映画『愛と殺意』を発表。1955年の『女ともだち』で長回しによる撮影スタイルを確立。同年のヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。1957年には自身の妻から突然別れを告げられたことをきっかけに、故郷フェラーラを舞台にした『さすらい』を製作。ロカルノ国際映画祭金豹賞を受賞した。
1960年の『情事』は既存の映画文法とは全く異なる作品であり、第13回カンヌ国際映画祭で上映された際にはブーイングが鳴り止まなかったものの審査員賞を受賞。英国映画協会サザーランド杯も受賞し、アントニオーニの代表作となった。また、同作に出演したモニカ・ヴィッティはこれ以後、アントニオーニのミューズとして欠かせない存在となった。翌1961年にはヴィッティの他にマルチェロ・マストロヤンニジャンヌ・モローを起用した『』を発表。第11回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した。1962年にはヴィッティとアラン・ドロンを配した『太陽はひとりぼっち』を発表。第15回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。これら3作品は「愛の不毛三部作」として知られる
1964年には再びモニカ・ヴィッティを主演に迎え、初のカラー作品となった『赤い砂漠』を発表。第25回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。1966年にはイギリスを舞台に、スウィンギング・ロンドンと呼ばれた当時のポップカルチャーを織り交ぜた不条理劇『欲望』を発表。翌1967年第20回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに続いて、世界三大映画祭全ての最高賞を獲得した史上2人目の映画監督となった。
1970年アメリカを舞台に学生運動ヒッピー文化などを描いた『砂丘』を発表。ピンク・フロイドの音楽とともにラストの爆破シーンが高く評価された。1972年には毛沢東の妻・江青の依頼を受け、文化大革命期の中国を舞台としたドキュメンタリー『中国』を製作。しかし、中国政府にとって都合の悪い描写を含んでいたため、毛沢東夫妻の反発を受け、中国で公開されたのは30年後のことであった。1975年にはジャック・ニコルソンマリア・シュナイダーを起用した『さすらいの二人』を発表。ラストの7分間もの長回しが話題となった。
1980年にはテレビ映画『''Il mistero di Oberwald''』で16年ぶりにモニカ・ヴィッティを起用した。1982年には映画監督を主人公にした『ある女の存在証明』を発表。第35回カンヌ国際映画祭で35周年記念賞を受賞した。翌1983年にはそれまでの功績が讃えられ、ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞が授与された。
1985年脳卒中に見舞われ、以後は半身麻痺言語障害を患ったが、1995年ヴィム・ヴェンダースを共同監督に指名し、自身の短編小説を映画化したオムニバス『愛のめぐりあい』を発表。13年ぶりに映画監督として復帰した。同作にはジョン・マルコビッチソフィー・マルソージャン・レノファニー・アルダンイレーヌ・ジャコブなどが起用された他、『夜』で共演したマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローも出演した。同作は第52回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。同年、第67回アカデミー賞名誉賞を受賞した。
2007年7月30日、ローマにて94歳で死去した。同日にはイングマール・ベルイマンも死去している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミケランジェロ・アントニオーニ」の詳細全文を読む




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