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ミゲル・ボジェール・サルバドール(, 1939年2月5日 - 2014年9月29日)は、スペインの経済学者・政治家。スペイン社会労働党(PSOE)所属。第1期フェリペ・ゴンサレス内閣の1982年から1985年に経済・財務・通産大臣を務めた。 == 経歴 == 1939年2月5日、バスク地方の一部であるフランスのサン=ジャン=ド=リュズに生まれた。マドリード大学で経済学を学び、さらに同大学では物理学でも学士の資格を得た。学生運動を行って逮捕・投獄された経験があるが、マルクス主義から距離を置く穏健派の活動家だった〔戸門一衛『スペインの実験 社会労働党政権の12年』朝日新聞社, 1994年, pp.225-226〕。1960年にスペイン社会労働党(PSOE)に入党したが〔、社会労働党を離党して社会民主党に所属していたこともあった。の1979年の総選挙では、社会労働党から出馬してハエン県選挙区から下院議員に選出された〔。1980年9月に下院議員を辞している。 経済分野における社会労働党のスポークスマンとして活躍。1982年の総選挙で社会労働党が民主中道連合(UCD)から政権を奪い、第1期フェリーペ・ゴンサーレス政権が誕生すると、ゴンサーレス首相、アルフォンソ・ゲーラ副首相に次ぐ地位とされる経済・財務・通産大臣に就任した〔。労働者に対して賃上げの抑制を働きかけ、ルマーサ財閥の国家収用・解体を行い、1985年には税法を改正した〔。ゴンサーレス内閣の閣僚の中ではもっとも影響力のある人物とされていたが〔、1985年の内閣改造でに椅子を譲った〔。ゲーラ副首相と対立して辞任を余儀なくされたと推測されている〔。 大臣辞任後には、政府系のスペイン外資銀行の総裁職に就任し、さらには高額年俸で民間投資グループであるカルテラ・セントラル(中央証券)の社長に、建設業の社の副社長に就任した〔。1999年には石油業の社の社長に就任した。1996年にはスペイン社会労働党を離党し、国民党(PP)支持を公言。国民党のホセ・マリア・アスナール首相が主宰するファエス財団の一員となったが、2004年に社会労働党が政権を奪うと再び社会労働党に接近した。2012年2月27日に脳梗塞で倒れ、マドリード・レスセール・センターでリハビリを行っていたが、2014年9月29日、マドリードのルベール国際病院で死去した。75歳だった〔。死因は肺塞栓症。葬儀は身内だけで執り行われ、9月30日にマドリードのに埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミゲル・ボジェール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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