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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミッシェル・ウェーデル(''Michel Wedel'', 1958年 - )は、オランダの空手家である。現役時代の体格は身長197センチメートル、体重104キログラム。欧州最強の男の異名を持っていた〔『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、138-139頁。〕。 == 来歴 == === 第3回全世界選手権で増田との激闘 === 1973年に極真会館入門。空手と同時にボクシングも並行で練習していた。1979年の第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に初出場。この頃は目立った結果を出せなかったがその後、1981年のヨーロッパ選手権重量級で優勝。このときのウェーデルをみた大山倍達は「第3回全世界選手権での最強外国人はウィリー・ウィリアムスでもケニー・ウーテンボガード(南アフリカ)でもない。ミッシェル・ウェーデルだ」と高評価した。この頃から欧州最強の男と呼ばれるようになり、注目を浴びる。 1984年の第3回全世界選手権では1回戦、2回戦と一本勝ちで勝ち上がり、3回戦で増田章と対戦。3度目の延長戦までもつれ込み、判定で増田に敗れた。しかし、増田は「本戦序盤にミッシェルのボディーブローが私のレバーに効いてしまった。『なんだこの突きは』『今までこんな強い突きはもらったことがない』と驚愕するほど、強烈なものだった。本戦の判定で『負けた』と思っていたら、引き分けの判定だった。本来なら『助かった、負けなかった』と思うところだが、このときばかりは『えっ、まだ戦うのか?』という心境だった。延長戦ではボディブローのダメージを残しながら、左下段回し蹴りを中心にミッシェルの足を攻めた。とにかく倒れて負けたくないと思い、必死に戦っていた。再延長戦に突入すると、彼が私を倒そうと動いていたのでスタミナを消耗してきていた。逆に私の下段回し蹴りも効きはじめたのか、判定で私の勝利となった。しかし、本戦の判定だけだったら、私の負けであった〔増田章 『吾 武人として生きる』 東邦出版、2009年、3-12頁、ISBN 978-4809407680。〕」と吐露している。 増田に負けたウェーデルだが、評価は一切下がらなかった。ウェーデルはボクシングの技術を取り入れた突きとムエタイの蹴りを取り入れていた。レバーを狙った下突き〔構えた手を相手の顎や身体の肝臓などに下から突き上げる。ボクシングのアッパーカットに類似した技である。〕(ボディブロー)、鎖骨を狙った上段突きと上中下段回し蹴り、前蹴りと突きと蹴りのコンビネーションが見事にかみ合った組手スタイルであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミッシェル・ウェーデル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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