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ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシ : ミニ英和和英辞書
ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシ : ウィキペディア日本語版
ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシ[ちょうおん]

ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシMichel Dimitri Calvocoressi, 1877年10月2日 マルセイユ1944年2月1日 ロンドン)は、ギリシャフランス人音楽評論家詩人翻訳家
パリで音楽を学ぶが、ほとんど独学であった。その間、社会科学も修めた。
ロシアの興行家セルゲイ・ディアギレフの助手として、1907年にパリで行われた、シャリアピンR.コルサコフラフマニノフスクリャービンニキシュらを招いてのロシア音楽コンサートに関わった〔リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1983年、上巻106-112ページ〕。1909年にディアギレフが結成したバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)にも協力したが、1910年の公演(ストラヴィンスキーの『火の鳥』が初演された)、ディアギレフとの不和が原因で助手を辞任した〔リチャード・バックル、前掲書、上巻204-205ページ〕。。
1914年にロンドンに移り、フランス語雑誌に音楽評論を寄稿。ロシア語に通暁しており、ロシア音楽の熱烈な擁護者であった。ロシア語の歌曲やドイツリートギリシャ民謡英語フランス語に翻訳するのに、語学力を発揮した。音楽サークル「アパッシュ」の一員として、ラヴェルフローラン・シュミットファリャに影響力があり、また、1907年冬には作曲とオーケストレーションの指導を求めていたヴォーン・ウィリアムズにラヴェルを紹介した。
日本では、柿沼太郎によって著作のごく一部が翻訳されている(『正しい音楽の味はひ方』)。
==著作集==

* ''La Musique russe'' (パリ 1907年)
* ''The Principles and Methods of Musical Criticism'' (ロンドン 1923年 改訂版1933年)
* ''Musical Taste and How to Form It'' (ロンドン 1925年)
* ''Musicians' Gallery: Music and Ballet in Paris and London'' (ロンドン 1933年)
*ロシア音楽の巨匠たち ''Masters of Russian Music'' (ロンドン 1936年、ジェラルド・エイブラハムとの共著)
* ''フランツ・リスト'' (パリ 1906年)
* ''ムソルグスキー'' (パリ 1908年)フランス語版
* ''グリンカ'' (パリ 1911年)
* ''ロベルト・シューマン'' (パリ 1912年)
* ''ドビュッシー'' (ロンドン 1941年)
* ''ムソルグスキー'' (ロンドン 1946年)死後出版された新装改訂版・英語版

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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