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ミシェル・ドヴィル(Michel Deville, 1931年4月13日 ブローニュ=ビヤンクール - )は、フランスの脚本家、映画監督。自作の映画プロデューサーでもダイアローグライターでもある。 == 来歴・人物 == 1931年4月13日、オー=ド=セーヌ県のブローニュ=ビヤンクールに生まれる。 1954年、23歳のときに、アンリ・ドコワン、ジャン・ドラノワ、ジャンニ・フランチョリーニ、ラルフ・アビブによる仏伊合作オムニバス映画『寝台の秘密 ''Secrets d'alcove''』、第一話『宿泊許可書』のドコワン監督に助監督につく。つづいて翌1955年、おなじくドコワン監督に『筋金を入れろ ''Razzia sur la Chnouf''』、1958年の『女猫 ''La Chatte''』と計3本の助監督を経験する。 1958年11月19日、長編映画『''Une balle dans le canon''』(共同監督シャルル・ジェラール)がパリで公開され、本作で監督デビュー。 1961年9月29日、ソロ監督デビュー作『''Ce soir ou jamais''(今夜じゃなきゃダメ)』がフランスで公開される。主演アンナ・カリーナ。本作以降、1971年の『ラファエルあるいは道楽者』までのほとんどすべての作品(計12本)の共同脚本・編集をニナ・コンパネーズがつとめる。 1984年5月11日 - 23日、第37回カンヌ国際映画祭審査員を務める。 1984年2月13日、『ゲームの殺人』がフランスで公開。本作以降、ロザリンド・ダマンムと共同で脚本を書き始める。ロザリンドは1977年の『''L'Apprenti Salaud''』から助監督についている女性だが、ダマンム姓は『ゲームの殺人』までで、その後ドヴィルと結婚、1988年の『読書する女』以降はロザリンド・ドヴィルとクレジットされるようになる。1990年の「真夜中の恋愛論」は、主演のマリー・トランティニヤンらが全裸で恋愛論を語るという官能的な作品だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミシェル・ドヴィル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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