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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カーティス・ヒューズ(Curtis Hughes、1964年12月7日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミズーリ州カンザスシティ出身のアフリカ系アメリカ人。 用心棒ギミックのヒール、ミスター・ヒューズ(Mr. Hughes)での活躍で知られ、トータル・プロテクション(Total Protection)の異名を持つ。 == 来歴 == カンザス州立大学にてアメリカンフットボールで活動後、NWAセントラル・ステーツ地区のレジェンドであるサニー・マイヤースとボブ・ガイゲルのトレーニングを受け、1988年にデビュー。黒人レスラーの大先輩アーニー "ザ・キャット" ラッドにあやかり、当時はカーティス "ザ・キャット" ヒューズ(''Curtis "The Cat" Hughes'')を名乗っていた。 地元カンザスシティのWWAを皮切りにAWAやテキサスを転戦した後、1990年秋にアーニー・ラッドのニックネームと同じザ・ビッグ・キャット(''The Big Cat'')の名でWCWに登場。翌1991年3月21日、新日本プロレスの東京ドーム大会にビッグ・キャット・ヒューズのリングネームで初来日し、エル・ヒガンテの対戦相手を務めた。 その後、ソフト帽に黒スーツの用心棒キャラクターに変身し、ミスター・ヒューズ(''Mr. Hughes'')と改名。サングラスを付けたまま試合を行うスタイルで注目を集める。レックス・ルガーのボディーガードを経て、1991年の末よりハーリー・レイスをマネージャーにベイダーと巨漢コンビを結成。1992年1月の"Clash of the Champions XVIII" ではリックとスコットのスタイナー・ブラザーズと対戦した。 1993年はハービー・ウィップルマンをマネージャーにWWFに短期間登場。予選でカマラを下し6月13日開催のキング・オブ・ザ・リングに出場したが、1回戦でミスター・パーフェクトに反則負けを喫している。また、ポール・ベアラーから骨壷を奪うなど、ジ・アンダーテイカーとの抗争も行われた。 WWFを離れた後、シェーン・ダグラスのボディーガードとしてECWに参戦。1993年12月26日のPPV "Holiday Hell" ではサンドマン、1994年7月16日の "Heat Wave" ではトミー・ドリーマーを撃破〔。1996年2月17日の "CyberSlam" においてはババ・レイ・ダッドリーと肉弾戦を展開した。その間、1994年にはWARへ来日、3月2日の両国国技館大会にてキング・ハクと対戦している。 以後はWWFに単発出場し、1997年はハンター・ハースト・ヘルムスリー、1999年はクリス・ジェリコのボディーガードをいずれも短期間ながら務めた。一時期は170kg級の巨体だったものの、1999年の参戦時はウエイトを大幅に絞り込んでおり、当時ケン・シャムロックと抗争していたジェリコがスパーリング・パートナーに選んだ「伝説の強豪」という設定のもと、9月13日のRAW初登場の際はゴッチ・グレイシー(''Gotch Gracie'')なる覆面格闘家に扮していた。 セミリタイア後の2000年代からは、居住地のジョージア州アトランタをベースに各地のインディー団体にスポット参戦しており、2004年11月にはプエルトリコのWWCでアブドーラ・ザ・ブッチャーやロックンロール・エクスプレスと対戦〔。2007年はテネシー州メンフィスのMemphis Wrestlingに出場し、グレッグ・バレンタイン、ビル・ダンディー、ココ・B・ウェアらとレジェンド対決を行っている〔。2008年はRome Georgia Wrestlingにてボビー・イートンのボディーガードとなり、リッキー・モートン戦に介入した〔。近年はアトランタのWWA4にてトレーナーとしても活動している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーティス・ヒューズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Curtis Hughes 」があります。 スポンサード リンク
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