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ミズーリ妥協(ミズーリだきょう、)は、1820年にアメリカ合衆国議会において、奴隷制擁護と反奴隷制の党派の間で成立した取り決めであり、主に西部領土における奴隷制の規制を含んでいた。北緯36度30分のメイソン・ディクソン線を西に延伸した(Missouri Compromise line)と呼ばれるの北にある元ルイジアナ準州では奴隷制を禁じたが、既に提案されていたミズーリ州の領域内を例外とした。なお、「ミズーリ協定」とも訳される。 == 妥協までの経緯 == 1818年に、ミズーリが奴隷州としてアメリカ合衆国への加盟を申請した。この取り決めの前に、アメリカ合衆国下院は奴隷制に関する妥協を受け入れることを拒んでおり、両院協議会が指名されていた。アメリカ合衆国上院は修正案への同意を拒み、案全体が失われていた。 これらの論争は、将来の領土の支配を巡って議会における南部州と北部州の間の権力闘争を巻き込んだ。民主共和党がその一体性を失い始め、様々な会派が現れてもいた。議会でミズーリ州の州昇格を検討することは、当時の奴隷州と自由州の数が等しく11州ずつに分かれていたので、議会の党派的バランスの問題を提起してもいた。問題は1819年12月にアラバマ州を奴隷州として昇格させ、自由州と奴隷州の数が等しくなっていたことで複雑になっていた。ミズーリ州を奴隷州として認めることは、各州2人ずつの議員を出している上院で奴隷州の議員数が多くなるためにバランスを崩すことに繋がるものだった。この理由で北部州はメインを自由州として昇格させることを望んだ。上下両院は奴隷制の問題だけでなく、メイン州とミズーリ州を同じ法案の中に含めるかという議会運営上の問題でも対立した。 次の会期(1819年 - 1820年)では、ニューヨーク州選出の下院議員ジョン・W・テイラーの提案により、下院が1820年1月26日にミズーリ州を奴隷州として州昇格を認める類似した法案を修正付きで成立させた。ミズーリ州に加えて、下院は1月3日に、メイン州を自由州として昇格を認める議案を成立させた。 上院では2つの議案を結びつけることにした。メイン州の州昇格法案をミズーリ州の住民が州憲法を作成する権限を与える修正付きで可決した。この法案が下院に戻される前に、イリノイ州選出のジェシー・B・トーマス議員から、北緯36度30分線(ミズーリ州の南側境界線にあたる)の北にあるミズーリ準州からは、提案されているミズーリ州の領域内を例外として奴隷制を排除するという動議を採択して、2つ目の修正が付け加えられた。 両院協議会はメイン州の州昇格とミズーリ州の権限付与という2つの法案の法制化を推薦した。さらに奴隷制を規制することに反対する推薦を行ったが、トーマス議員の修正案を含めていた。両院がこれに合意し、両法案は1820年3月5日に成立し、3月6日にジェームズ・モンロー大統領が批准した。 メイン州が1820年3月15日に〔Library of Congress - Maine Becomes a State . March 15, 1820.〕、ミズーリ州が1821年8月10日に〔Library of Congress - Missouri Becomes a State . August 10, 1821.〕州昇格を果たした後、1836年までは新しい州ができなかった。その後アーカンソー州が1836年6月15日に奴隷州として〔Library of Congress - Arkansas Becomes a State . June 15, 1836.〕、ミシガン州が1837年1月26日に自由州として〔Library of Congress - Michigan Becomes a State . January 26, 1837.〕州昇格した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミズーリ妥協」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Missouri Compromise 」があります。 スポンサード リンク
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