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ミッコ・ロンカイネン : ミニ英和和英辞書
ミッコ・ロンカイネン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ミッコ・ロンカイネン : ウィキペディア日本語版
ミッコ・ロンカイネン

ミッコ・ロンカイネンMikko Ronkainen1978年11月25日 - )は、フィンランド中央スオミ県ムーラメ出身のモーグルスキーヤーである。
== 経歴 ==
1995-1996シーズンにヨーロッパカップで1勝を挙げ、シーズン途中よりワールドカップへ出場した。17歳で初参戦となった同シーズンは全て予選落ちと芳しい成績は残せず、さらに翌シーズンも序盤で最低クラスの成績になってしまい、ナショナルチームから外されて再びヨーロッパカップに戻った。しかし、シーズン終盤の世界ユース選手権ではピエール=アレキサンダー・ルソーを僅差でやぶり優勝を果たす。また、世界ユース選手権優勝者に与えられるワールドカップ最終戦の出場権によってワールドカップ最終戦へ出場したが、20人中16位とまたも下位に終わった。
1997-1998シーズンはナショナルチームに復帰してフル参戦を果たし、デュアルでは初の一桁の順位も獲得する。20歳になった1998-1999シーズンはシングルで初めて予選を突破し、デュアルでは第3戦で2位になり、遂に表彰台に上った。さらにワールドカップ後の3月に世界選手権にも出場して予選で5位と健闘を見せたが、決勝ではミスにより15位という結果に終わってしまった。当時フィンランドはヤンネ・ラハテララウリ・ラッシラサミ・ムストネンの3人が圧倒的な強さで3強とされていたが、この頃からミッコ・ロンカイネンがフィンランド4人目の選手として注目されるようになる。
1999-2000シーズンはシングル初戦でいきなり初優勝を果たす。予選2位から決勝では唯一の27点台を叩き出すという快勝だった。初戦の後も予選では2位や3位に入るものの、決勝ではミスが目立ち、表彰台に上ることはなかった。2000-2001シーズンは第2戦で2度目となる優勝を果たす。同シーズンは1月に世界選手権が開催された。世界選手権では予選を1位で突破して最終走者となって出走すると、暫定首位のピエール=アレキサンダー・ルソーの26点台後半というポイントを大きく上回る28点台を叩き出して優勝した。世界選手権の後、ワールドカップでは第6戦でシーズン2勝目を上げる。また、首位を走るヤンネ・ラハテラが第6戦の前のデュアルで怪我をしており、第6戦を欠場していてポイント差が大きく縮まった。ヤンネ・ラハテラは最終戦も欠場することになり、5位以上で総合優勝のタイトルが掛かった最終戦で2位を獲得し、世界選手権とワールドカップの2冠を達成し、オーバーオール総合優勝も同時に手にした。
2001-2002シーズンは終盤で2勝を上げるも総合5位に終わった。また、2002年ソルトレイクオリンピックにも出場したが、8位とメダル獲得はならなかった。2002-2003シーズンは序盤で1勝を上げるも後は勝ち星がなく、再び総合5位に終わった。しかし、シーズン半ばに行われた世界選手権ではエドガー・グロスピロン以来、史上2人目となる世界選手権2連覇の偉業を達成した。またも28点台で、ターン点はジャッジの5人中4人が満点で5審3採用制のため満点という高得点での優勝だった。2003-2004シーズンは翌年の世界選手権のために休むシーズンと公言して第4戦から第8戦を欠場した。
2004-2005シーズンは世界選手権直前の最終戦に1勝して、総合4位。万全の調整で臨んだシーズン最後の世界選手権でシングルでは予選3位と好位置につけたが、決勝ではエアの着地で失敗して9位に終わり、前人未到の3連覇はならなかった。デュアルではベスト4まで進んだものの、セミファイナルで同国のサミ・ムストネンに敗れ、メダルは獲得できずに終わった。2度目の出場となる2006年のトリノオリンピックでは8番スタートで26点台後半の高得点を出して、20人中19人目までは暫定首位だったが、最後の1人のデイル・ベッグ=スミスに僅か0.15ポイント上回られ優勝を逃した。また、2005-2006シーズンのワールドカップではあまり好成績を残していないが、オリンピック後の最終戦で1勝を上げている。2006-2007シーズンは日本ラウンドのみ参戦して、シングルで13位、デュアルで2位になった。シーズン最後の世界選手権にも参戦して、これを最後に引退した。しかし、2009-2010シーズンにバンクーバーオリンピックへの出場を期して引退を撤回して復帰し14位となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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