|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ミシェル・ルブラン(Michel Lebrun、1930年4月2日 - 1996年6月20日)は、フランスの小説家、推理作家、脚本家。パリ生まれ。ミッシェル・ルブランとも表記される。 戦後のフランスでもっとも成功したミステリ作家の一人で、フランスでは「ポラールの法王」(pape du polar)と呼ばれた(ポラールは「推理小説」の意味)。1950年代から70年代まで実作者として活躍し、その後はミステリ評論家やアンソロジストとして活躍。フランス・ミステリ界の発展に大いに貢献した。 なお、ミシェル・ルブランの姓はモーリス・ルブランの姓(Leblanc)とは綴りが異なる。 == 人物・経歴 == 本名はミシェル・カド(Michel Cade)。高校(リセ)卒業後、漫画家やミュージックホールの歌手、セールスマン、バーテンなどさまざまな職を転々とし、1953年ごろから小説を書き始める。ミシェル・ルノワール(Michel Lenoir)、ミシェル・ルクレル(Michel Lecler)、オリヴァー・キング(Olivier King)など複数のペンネームで作品を発表していたが、ミシェル・ルブラン名義の第2作『殺人四重奏』(Pleins feux sur Sylvie)で1956年のフランス推理小説大賞を受賞し、一躍その名を知られるようになった。それ以前に別ペンネームで発表した作品は、再刊時にミシェル・ルブラン名義に変更されている。 その後は3か月に1作のペースで次々と長編を発表。同時期にフランス推理小説大賞を受賞したやフレッド・カサック、ユベール・モンテイエ、セバスチアン・ジャプリゾらとともに、フランスのサスペンス小説の黄金時代を築いた。1960年代前半をピークに一時期執筆から遠ざかったが、1970年代には執筆を再開。1977年発表の『オートルート大爆破』(Autoroute)は後期の代表作としてフランスで高い評価を受けている。 その後は実作者としてではなく、ミステリ評論家や編集者、アンソロジストとしての活動がメインになっていく。1979年に創刊されたミステリ研究誌『ポラール』の編集には晩年まで携わった。また、『ポラール』創刊の翌年に刊行が始まった『ミステリ年鑑』(1980年から84年まで「L'Almanach du Crime」、1985年以降「L'Année du polar」)の編集もしている。このミステリ年鑑は、フランスで一年間に出版された内外すべてのミステリにそれぞれ粗筋とコメント、点数をつけるというものである。 また、1979年設立のフランスの推理小説普及団体「813協会」(Association 813、正式名称「813 : les amis de la littérature policière」)の発起人の一人にもなっている。 映画脚本家としても活躍し、ジェイムズ・ハドリー・チェイス、フレッド・カサック、ルイ・C・トーマ、ピエール・マニャンの推理小説が映画化される際に脚本を担当したほか、007ブームに便乗して1960年代のフランスで量産されたスパイアクション映画の脚本を数多く執筆した。1988年にはカルト的な人気を持つジェス・フランコ監督のスプラッターホラー映画『フェイスレス』(1988年)の脚本にも参加している。 英語からフランス語への翻訳家としても活躍。エルモア・レナード、ウディ・アレン、グルーチョ・マルクス、ジョン・アーヴィング、ジャック・フィニイ、ジェームズ・M・ケイン、デイビッド・グーディスらの作品を翻訳した。 1987年、その全著作に対し、が贈られた。 1996年、66歳で死去。その死を受けて、ル・マン市で1986年から授与されていたフランス語推理小説賞(Prix du roman policier francophone)は1997年からミシェル・ルブラン賞(Prix Michel-Lebrun)に改称した。さらにその後、ミシェル・ルブラン推理小説賞(Prix Polar Michel Lebrun)に改称している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミシェル・ルブラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|