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ミッテルバウ=ドーラ強制収容所(独:Konzentrationslager Mittelbau-Dora)は、ドイツがテューリンゲンのノルトハウゼンとエルリッヒ(:de:Ellrich)の間にあるコーンシュタイン丘(:de:Kohnstein)に創設した強制収容所である。 ドイツ軍の秘密兵器V1ロケットやV2ロケットの開発がおこなわれていた収容所として知られる。6万人以上の囚人がミッテルバウ=ドーラ強制収容所とその付属強制収容所で働かされ、うち2万人以上が死亡したという〔「旧ドーラ抑留政治囚・レジスタンス闘士会」のジャン・ミアレの調査による。マルセル・リュビー著『ナチ強制・絶滅収容所 18施設内の生と死』(筑摩書房)125ページ。〕。 収容所そのものの名称は「ドーラ」といい、その周りに配された工場群を「ミッテルバウ」と呼んでいた。これら全てを合わせて「ミッテルバウ=ドーラ」と呼ぶ == 収容所の歴史 == 第二次世界大戦中の1943年にブーヘンヴァルト強制収容所の労働分隊がコーンシュタイン丘を掘削して収容所の建設にあたった。ドイツ軍は連合軍の空襲を警戒し、兵器生産施設を地下工場へ移していたためである。 1943年8月、バルト海沿岸のペーネミュンデの軍事基地がイギリス軍に空爆された。ここにはドイツ軍の秘密兵器V1ロケットとV2ロケットの試験場が設けられていた。この後、V1とV2の坑道はすでに完成していたミッテルバウ=ドーラへ即時に移せとの命令が出た。以降ミッテルバウ=ドーラでV1とV2の開発が続けられた。はじめミッテルバウ=ドーラはブーヘンヴァルト強制収容所の外部収容所(付属収容所)であったが、1944年10月28日に独立した収容所として認められた。またミッテルバウ=ドーラの労働分隊がいくつかのミッテルバウ=ドーラ外部収容所を構成した。 厚さ100メートルの結晶片岩層という天然の防御壁で空からの攻撃に守られたミッテルバウ=ドーラには、常時6000人の囚人と同じ程度の数のドイツ人一般市民が働き、V1とV2ロケットの製造を専門に行い続けた。使役される囚人はロシア人とフランス人が多かったという。 1945年4月初めにはノルトハウゼンなど付近の都市が空襲にあい、壊滅。ミッテルバウ=ドーラの運営も事実上不可能となった。1945年4月10日に付近を占領したアメリカ軍がミッテルバウ=ドーラを発見して解放した。 なおミッテルバウ=ドーラにガス室は存在しなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミッテルバウ=ドーラ強制収容所」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mittelbau-Dora 」があります。 スポンサード リンク
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