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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミット・ブレネンダー・ゾルゲ()は、教皇ピウス11世によって発出された回勅。1937年3月14日付で発出された〔PIUS XI. Enzyklika „Mit brennender Sorge“ | PIUS XII - ミット・ブレネンダー・ゾルゲのドイツ語版原文。〕。通例回勅の原本はラテン語によって書かれているが、ドイツ語によって書かれている。題名は「深き憂慮に満たされて」、「とてつもない懸念とともに」、「燃えるような思い」〔、99p〕などと訳されている。ナチズムおよびナチス・ドイツ体制が、人種・民族・国家を神格化していると批判した。 == 背景 == 国家社会主義ドイツ労働者党は人種主義を掲げ、人種としてのユダヤ人に対する迫害を公然と主張していた。一方でバチカンは、カトリック政党である中央党を支援しており、ドイツ国内において対立関係にあった。しかし、共産主義を敵視する反共の観点では両者は共通していた。またユダヤ教に反対するという立場では「反ユダヤ主義」としての共通点もあった。 1933年1月のナチ党の権力掌握後には、このような状況にも変化が生じた。3月23日にはヒトラー内閣によって提出されたに中央党が賛成票を入れ、3月28日にはドイツの司教団は「ナチズムに対する原則的批判は取り下げない」ものの、「拒否的姿勢をやわらげ、順応する」声明を発出し、次第に融和が図られるようになった。7月20日にはバチカンとドイツ政府の間で、政教条約(ライヒスコンコルダート)が締結され、ナチス政府がカトリック教会及び信徒への保護を行うことと、ドイツ国内のカトリックの聖職者と信徒がナチス政府への忠誠を誓うことが合意された。 しかしナチス政府によるカトリック教会への弾圧・迫害はやまず、ライヒスコンコルダートが無視される事態がしばしば発生した。カトリック学校に対する圧迫は強化され、カトリック系の青年運動は禁止された。回勅「ミット・ブレネンダー・ゾルゲ」はこのような状況下で発出された、ナチス・ドイツ体制に対するバチカンからの批判の一つである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミット・ブレネンダー・ゾルゲ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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